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ドラえもん激涙感動エピソードにまさか「記事を書くときに"やっていけない"法則が見つかる」とは…面白さ共有の大前提ルールが、こんな簡単すぎるモノでいいの?

エンターテイメントを意識して情報を伝えると、従来なら興味なかった人々も次々やってきて、なんかすごい展開になっているんだが…

楽しみ・面白さを第一とし、衝動で面白い展開が訪れる情報の伝え方をした結果、次々と予想もしない出会いを実現できてしまった。

前回こちらの記事を書いた。

記事終わりにて次の問いを立てた。


「書き手と読み手はそれぞれ事情が異なる。お互い楽しさ・面白さ・幸せを分かち合えるため、どんな風に情報を伝えたらいいのか?」


今回は僕なりの答えを出し、お互いに情報を伝える喜び、楽しさ、そして面白さを分かち合うエンターテイナーとしての本能を目覚めたらいいなと考えている。


えっ!それに気を配らねばならんの?

本題へ入る前に注意がある。一方だけではない。書き手(ここでは僕)はもちろん、読み手(ここだとあなた)双方だ。

どちらかに偏ると、結果として苦しみの気持ちを引き起こしてしまい、ワクワクな気持ちが失われていく。

書き手だけの楽しみに偏ると忘備録・セールスレター・上から目線の説教となり、書き手のストレス解消でしかない。赤の他人からいきなり説教をくらい、気分が良くなる人はめったにいない(例外は存在するけど、ここでは省く)。

読み手だけだと書き手が不幸思考になり「なぜ自分だけがこんなに苦しまなければならないのか。なぜ自分ばかり不幸な目に合わなければならないのか」自分呪いから他人へ逆恨み感情を抱くようになる。

どちらに偏っても禍を招き入れてしまうため、僕は「双方の楽しさ」を重視している。

注意を書いたうえで、まず僕が意識する部分はメリットだ。


私が最も魅せたい部分はコ・コや!

ネタでも作品でも、そしてビジネス文書でも最も読んでもらいたい・最も面白いポイントは一つだけ。最も面白い部分を自分(書き手)が決める

「あれもこれも面白い」何でもかんでも入れると忘備録になり、気が付いたら次々と話が飛んでいき、混乱をきたす。

後で述べる構成をしっかり練らず、思いつくまま書くと高確率で「今の自分さえよければいい」伝え方をしてしまう。

くわえて記事の場合、読んで数日後に気づくんだ。

「あれ、面白くない。そもそも自分、何を書きたかったんだ

少しでも混乱を防ぐために、最も面白い話を最初に決めてしまう。
抽象的な表現なので、具体例を示そう。


感動必至!のびた君のおばあちゃん

感動できる作品はいっぱいある。僕がふっと思いついた感動シーンはドラえもんにおいて、のびたのパパ(のびすけ)がすでに死んだ母親(のびたのおばあちゃん)に、泣きながら仕事での愚痴をこぼすシーンだ。

何も知らないと、おばあちゃんがただサラリーマンの中年を慰めているようにしか見えぬ。上記動画の簡単な流れを書くと、

のびたの父親が仕事を通して度重なるストレスを抱き、あたりに八つ当たりしていた。
「おばあちゃんに叱ってもらおう」
のびたが一計を案じ、タイムマシーンを使って過去へさかのぼる。おばあちゃんが生きていたころの時代へ!

働いている人、愛する両親・師匠筋がいない人ほど、このシーンは心を揺さぶられるだろう。

全てこのシーンに言葉で表現できない感動を、スタッフ(原作者含む)と視聴者が分かち合うため、様々な展開や事件をちりばめていく。

ここだと「パパが激怒しながら帰宅、ママに八つ当たりなど」

このシーンだけならあまり感動も起きにくいが、前段階を知っていると「記憶の中から前段階を思い出し」心をおおいに揺さぶられる。ところが、


パパの感動に別の感動を入れても……

おばあちゃんといえばもう一つ、いや、むしろこちらが有名な感動シーンだ。

成長した孫と本来は会えないおばあちゃんが、タイムマシーンを使って出会い、のびたが甘えるシーン。

ここにのびたとおばあちゃんが出会って「僕、あなたの孫です。ぼおばあちゃん、おばあちゃん……」

告白シーン(別の大きな感動)をでっかでかと入れてしまうと、話がとっ散らかるうえ、パパとおばあちゃんのシーンに対する感動が薄くなる

本編ものびたとおばあちゃんが抱き合うシーンがあるけど、さっと流している。上記動画のような構成ではない。

何も考えないまま記事を書くか、「あれも大切、これも大切」詰め込みすぎると、最も見てもらいたいシーンへの感動が薄れていく。読み手の心に深い印象を与えられず、記憶から消えていくのみ。

今回のドラえもん・おばあちゃんのシーンのように、年を取っても何かしらの機会で「ふっ」と思い出す状態を目指している。

「ふっ」と思い出す部分、僕のビジネス仲間は述べていた。

「初見の人かつ興味すらなかったモノについて、一気に興味を持たせるのが、最高の記事」

今回だとのびたやのびすけがおばあちゃんに甘える(再開?)シーンだ。印象が薄ければ、最初からおばあちゃんの話など出てこなかった。

僕の記憶からふっと出てきた事実こそ「このシーンは深く印象に残っている」表れだ。

おばあちゃんが優しいのと、タイムマシーンを使ってのびたが甘えるのと……

父親になったのびすけが、すでに死んだ母(のびすけはタイムマシーンで過去にさかのぼっている事実を知らない)へ悩みや愚痴をこぼす光景がショックでもあるからだ。

ドラえもん本編で、パパは普段から自暴自棄になるほど愚痴をこぼす人間でない。この話くらいじゃないか?

ママに対しても弱みを見せないパパが、母親に弱みを見せたのだ。しかも年を取るとのびすけの気持ちがおおいにわかってしまう。

めったにない出来事だからこそ、幼い時に見ていた僕の記憶に今でも深く刻み込んでいる。

感動までの流れを情報の伝え方に当てはめていく。

感動シーン(もっとも伝えたい部分)だけを見せても意味がない。おばあちゃんに甘えるまでの流れ(起承)があるから、視聴者の心に深く刻み込める。必要な作業が


面白い流れへ持っていくため記事再構築

たいてい記事を書いていると再構築は面倒くさい。1から記事を書き直していかねばならないからだ。

「面倒だ、やりたくない、やーめよ」
自分のわがままを優先すると、自分からすれば普通の、読み手からするとあまり心に残らない記事ができる(あるいは伝え方になる)。

ここで前回のネタメール添削だ。思い付きでネタを浮かび、メールを送った結果「ストーリーが―浮かんでこない」芸人から言われた。

浮かんでこない要因の一つとして、僕が面倒を理由に流れを省いたまま提出したからだ。

短いネタの背後に物語(ストーリー)がある。背後物語を考えず、クライマックス(最もあなたに伝えたい部分・わかってもらいたい箇所)だけをいきなり伝えるから、書いているときは面白くても、投稿直前になると「つまらない、なんで?」なってしまう。

つまらなさを解消するため、過去記事から実例に入ろう。


実例:前回の記事を軽くまとめる

前回の記事を簡単に分解してみよう。僕が意識した流れとして

  1. 冒頭で理念及びテーマを書く

  2. テーマに対する事例(大喜利メール)

  3. 軽い問いを立てて考察(グエル先輩)

  4. グエル先輩例を通し、大きな問い(ここが一番の主張)を立てる

  5. どうしたら問いから生じる欠点を克服できる?

やってる内容は「主題」を決めたら問1→考察1→問2→考察2……でしかない。このやり方は受験現代文が一つ。

後は気になった作品の考察など(特にけものフレンズ1期)を参考に、記事を組み立てなおしていく。

構築は組み立て作業だ。構築したら終わりでない。
この後が運命を大きく分ける。時に苦しさを抱く時間とは……

次回に続く。予告として

  • 「え、編集は足し算でなく引き算なの。引くから魅力だけが残るのか。

続きはこちら。


「今回の情報、ためになるわあ」

思ったら記事をメモ帳なりに記事を丸ごと貼り付けて、印刷して読んでいただくとありがたい(そのまま印刷でもいいが、メモ帳保存より印刷用紙を費やす)。
「未来のあなた」が「今のあなた」に伝えたい情報だから。

「どこがためになったのか」自問すると、あなただけにしか使えないテクニックや気づきを得ると、僕は確信している。

では次をお楽しみに。

PS 前回の記事を改めて載せて置く(新しいタブで開くはず)。今日書いた内容を元に読み直すと、伏線を回収する気分で何かを見つけるはずだ。


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます