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第二次大戦中、日本人をプロファイルしたアメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクト

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グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています、該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


6月5日は、アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクト(1887年6月5日 - 1948年9月17日)が生まれた日。

「レイシズム(人種主義、人種差別主義)」の語を世に広め、日本人の気質を分析した『菊と刀』を著したことによって知られる。

ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日 - 1948年9月17日)

ニューヨーク出身。

名門私立女子大学を主席で卒業。1919年からコロンビア大学大学院に入学、人類学フランツ・ボアズの指導を受ける。

1936年、コロンビア大学の助教授に昇任。第二次世界大戦開戦後、アメリカ軍の戦争情報局に招集され。1942年より、日本人を分析、研究。

このときにまとめられた報告書「Japanese Behavior Patterns (『日本人の行動パターン』)」を基に戦後、「菊と刀」が執筆された。

ルースは、日本を訪れたことはなかったが、日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、日本文化の解明を試みた。『菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論である。

その中で、日本社会は階層的な上下関係に重きを置き、それが家族、国家、信仰、経済活動の基盤となっているとした。また、日本文化は他者との相対的な空気を意識する「恥の文化」と指摘し、欧米の文化は自律的な良心を意識する「罪の文化」と定義、倫理的に後者が優れているとの主張を展開した。

ルースは大戦後もUNESCO設立に関わるなど積極的な活動を続け、1948年にコロンビア大学正教授に任じられた。

その2ヶ月後、1948年9月17日、ニューヨークで急死。享年61歳。

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