最終話 誓うべき誠実 【短編】
個性豊かな賑わいがそれぞれのテーブルで華やかに溢れていた。
終わる事など有り得ない幸せだと全ての笑顔が信じていた。
友人としての〝在り来たり〟なスピーチを終えた僕は自分の席に戻っていた。
隣には会場の雰囲気に溶け込んでいないユリカが座っていた。
◇
「追いかけないで!!」
僕は友里香の声に動きを止められていた。友里香の声は呪文となって、魔法となって、僕の背中を捕まえていた。
決断を迫られていた。
駆け引きを始めていた。
真実を探していた。
誠実の欠片も探していた。
◇
雛壇では新郎新婦が満面の笑みを浮かべていた。ちょっと離れた場所で、ハワイで友里香と一緒だった友達も笑っていた。
(何故知り合ってしまったんだろう・・・)
あの夜、僕はユリカの隣で強烈に酔っ払いながら誓うべき愛はユリカだと確信していた。でも僕は玄関先に立つ友里香の姿を見た時、いやらしくも愛を欲張り、決心を玩んでしまっていた。しかも戻って来てくれたユリカの真心までも見縊り、振り返る事も追い掛ける事も勿体振ってしまっていた。
(・・・馬鹿な男だな・・・)
「・・・・・」
僕は隣に居るユリカの硬い横顔に胸を押し潰されそうになっていた。
◇
「ユリカっ!・・・ユリカっ!・・・」
電話もメールも返事が無かった。
暗い夜道を彷徨っていた。
タクシーに乗っていない事を願っていた。
酔いなんか醒めていた。
近くに居ると信じていた。
見つけ出さなきゃ駄目だと思っていた。
〝じゃあね〟と言って置きながら、戻って来てくれたユリカの愛を僕は探していた。
◇
「婚約、やめよ」
「何言ってんだよっ!」
ユリカは指輪をテーブルの上に置いていた。
僕はあの夜からずっとユリカに電話を掛けていた。メールもずっと送信していた。ユリカの会社の前でユリカを待ってもいた。でも会えなくて、そしてやっと声が聞けて、部屋に来てくれたユリカに僕が伝えた最初の気持ちはそんな陳腐な叫びだった。
ユリカは僕の部屋に置いてある化粧品を、下着を、カットソーを、叫び続ける僕を差し置いてバッグに詰め込んでいた。
「私、捨てられたのかな?」
玄関先で振り向いて僕に問い掛けたその声は、どうしようも愛おしい健気な声だった。
「・・・ユリカ、あの二人の結婚式、来てくれないか」
「・・・・・」
「もう明日だし、今更キャンセル出来ないし、席が空く事は結婚する二人に失礼なんだ・・・」
(僕は何でそんな事言ってるんだろう・・・)
(もっと他に言うべき事、沢山あるじゃないか・・・)
「・・・今でも好きよ」
振り向いたユリカは穏やかな笑顔でそう言った。
胸は締め付けられていた。
吐息が苦しいなんて初めて感じていた。
ユリカの香りが鼻先で少しだけ揺れていた。
ゆっくりと閉まった玄関ドアに漫然と遣る瀬無せない眼差しを、一人残された僕はぶつけていた。
◇
ワイキキの動物園で、ビーチコマーのプールで、ダイナーで、中目黒の駅でふと目にした時も、ダイニングでの笑顔も、マンション前で見つめた時の驚いた仕草も友里香は眩しく光っていた。そして今、友里香は最も眩しく最も美しく輝いていた。
ユリカは同じテーブルに座っている僕の友人達に色々と質問されていた。
会話するユリカの会釈は何処かぎこちなかった。
僕達は会場に満ち渡る祝福の空気に溶け込めていなかった。
(ちょっと辛いです・・・空の上に居る・・・恋愛を司どる・・・神様の・・・方々・・・)
(・・・駄目だ・・・自分の事ばかりじゃないか・・・)
(この現実を突き付けられた意味を考えなきゃ・・・)
◇
満面の笑みを浮かべた懐かしい旧友達が代わる代わる雛壇へ、それぞれが思いのこもった祝酒の御酌をしていた。
高校、大学と一番近くに居た筈の新郎の下へ、いの一番に、壮大に、盛大に〝おめでとう〟を伝えなければならない事を戸惑っていた。
僕は今日一度も目が合っていない雛壇の友里香と、まだ一度も笑っていない隣のユリカに自分の恥ずべき姿を晒しながら、身も心も挟まれながら、盛り上がる会場の雰囲気に押されながら、二人の幸せを心から祝う旧友達の姿に何か熱いものを感じていた。
(・・・友里香さん、おめでとう・・・勇作、おめでとう・・・)
(本当におめでとう・・・)
変わらない旧友達の姿に、純粋で素直な気持ちが自然と湧き出ていた。
心を貫く締め付けられるような、身震いするような、誰かの幸せを心から祝福する感覚を初めて経験していた。
愛する女性を守ろうとする息吹が全身に沸き立つ感覚に身震いしていた。
披露宴という儀式の意味が、何となく分かり始めていた。
(おめでとう勇作・・・おめでとう友里香さん・・・おめでとう・・・)
(・・・ユリカ・・・)
(ユリカ・・・)
(・・・・・)
「ユリカ」
「・・・・・」
「聞いて欲しい」
「・・・・・」
「愛してる」
「・・・・・」
「・・・愛してるんだ・・・」
僕の目をユリカは見ていてくれていた。
「許し・・」
「待ってた・・・」
「・・・・・」
「待ってたんだ・・・」
ユリカの笑顔は照れていた。
「今日・・・必ず言ってくれるって・・・」
「・・・・・」
「絶対こうなるって、信じてた」
「・・・・・」
「・・・毎日電話くれて、毎日会社まで会いに来てくれて・・・私・・・幸せだった・・・」
「・・・・・」
「私には健二しかいないって、ずっと思ってた・・・」
「・・・・・」
「あの夜追い掛けて来てくれた事、知ってたよ・・・」
「・・・・・」
「健二の声が聞こえたから、隠れてた」
「・・・・・」
「〝ユリカ、ユリカー〟ってずっと聞こえてた」
「・・・・・」
「嬉しくて泣きそうだったから意地悪しちゃった・・・」
「・・・・・」
「次の日も次の日も、ずっとずっと幸せを感じてたかったから・・・意地悪しちゃった・・・」
「・・・・・」
ユリカは僕が伝えた精一杯の言葉を受け止め、茶目っ気けのある笑顔で僕を和ませ、素直な言葉で色褪せる事の無い瞬間を僕の心に刻み続けてくれていた。
「・・・昨日・・・指輪外して帰ったのも?」
「えへっ・・・あれは・・・自分を・・・試したの」
「・・・・・」
「私は健二の事をどれぐらい愛してるんだろうって」
「・・・・・」
「ははっ、それでね、直ぐ答えが出ちゃった」
「・・・?」
「指輪外したら、急に何だか苦しくなっちゃって、この辺りが」
ユリカは左手で自分の胸を何度か軽く叩いた。
「・・・・・」
「怖かった・・・ほんとに元に戻んなくなったらどうしようって・・・」「・・・・・」
「だからつい言っちゃったの〝今でも好きよ〟って」
「・・・ごめんな・・・」
「・・・ちょっとこっち来て・・・」
とびっきりの笑顔でそう言ったユリカに僕は顔を近づけた。
「愛してるよ」
(何という瞬間なんだろう・・・)
(どうしてこんなに心が洗われるんだろう・・・)
(どうしてこんなにユリカの全てを守りたい愛情が湧き出るんだろう・・・)
僕は婚約指輪をポケットから取り出していた。
ユリカは嬉しさを放つ瞳で僕の言葉を待っていた。
「右手の薬指を僕に預けて戴けますか?」
「いいよ、はい」
ユリカはそう言ってぶっきら棒に右手を僕の前に差し出した。
「〝はいっ〟ってさぁ」
「それで?」
「何だよ、そのお強請りは」
そう言って僕は、ユリカの薬指に指輪を着けた。
「・・・ありがと・・・それで?」
何となく椅子に深く座り直した僕に、ユリカは嬉しさを放つ瞳で素っ気けなく更に幸せを強請った。
「・・・まったく・・・マドモワゼル」
僕は真摯にユリカの右手を握り、膝まづいて求婚の雰囲気を出した。「・・・・・」
ユリカは微笑みながら、ちょっと大袈裟に姿勢を正した。
「・・・やり直させて下さいマドモアゼル。そして今度は左手の薬指にもう一度指輪を着けさせて下さい・・・最初で最後となるリングを」
「・・・芝居掛かっちゃって」
「やっぱり駄目か」
「〝膝まづく〟なんて何時もの気障とちょっと違うし、何か格好悪い」「・・・ありがとう・・・」
頬ほおを少し紅く染めたユリカの笑顔に、僕は最愛の〝ありがとう〟を渡した。
ユリカは照れていた。
僕は同じテーブルに座る同級生達に冷やかされていた。
穏やかに細やかに、微笑ましくユリカも冷やかされていた。
◇
「ユリカ、飲みに行こう」
「いいねそれ」
二次会を終えた街頭だった。僕達には出逢った頃の様な笑顔が戻っていた。
「ブラックベルベットで乾杯しよう」
「ブラックベルベットって?」
「大切な女性に、誠実を誓う時に飲むカクテルだよ」
「ははっ、気障ね・・・大好き」
「・・・ユリカ、ハワイ行って良かったろ?」
僕はほろ苦い休暇をくれた神様に感謝していた。
「・・・ねぇ、今夜跳ねて浸った後、狂わない?」
「・・・了解」
........................END.........................
【あとがき】
主な登場人物紹介
◇春岡健二
東京都世田谷区出身 32歳
情報システム開発会社勤務
ハワイ好き
高校時代野球部のキャプテン
◇藤沢ユリカ
東京都大田区出身 27歳
旅行代理店勤務
感覚派
勤務先の窓口で健二と出逢う
◇長谷川友里香
神奈川県相模原市出身 29歳
都銀勤務
同棲経験有り
上司受けが良く後輩から信頼されている
◇仁科勇作
東京都北区出身 32歳
私立高校教諭
努力家
大学時代野球部のキャプテン
BItterVacation
美位矢 直紀
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