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【備忘録】解像度が上がらない

 新年入りしたってことで、世相を簡単にリサーチすべく日本橋の丸善1階で平積みおよび面陳(表紙面が前面に来るように立てかけて陳列すること)されている書籍をさらりとチェック。複数の島で目立っていたので、丸善さんの今の一押しはどうやらこれ。

 解像度、である。意識高い人々には今さら解説するまでもないだろうが、一応デジタル大辞泉によると、元々の意味は「テレビ・コンピューターのディスプレーの表示や、プリンターの印刷において、表示できる画像の鮮明度」のこと。同書によれば、転じて一般的には「物事への理解度や、物事を表現するときの精細さ、思考の明晰さを、画像の粗さや精細さのビジュアルイメージを想起させながら示す言葉として用いられるよう」だそうです(17頁)。

 これ、何か学問的バックグラウンドがあってはやってる言葉なのかね? 恐らく英語ではresolutionでしょうが、私が少しでもなじんでいる国際政治・安全保障関係では紛争解決(conflict resolution)の文脈でしか登場しない。社会学でもあまり聞かないとは思うし、経営とかマーケティングとか、そちら側の言葉だろうか。ひょっとしてまさかの和語?

 いずれにせよ、意図せずわが国国防に大貢献すべく宿命付けられている意識低い系喫煙者おじさんには、縁のない言葉です。大学生のお姉さんと仲良くなろうと思った時以外、使う予定はありません。

 このほか、丸善さんを徘徊していて個人的に気になった言葉(ないし書籍タイトル)は、「老害」「誰が国家を殺すのか」「昭和史」「戦略」「地政学」「家康」「アントニオ猪木」「至極のラーメン」「スマホ失明」「不倫」。

 「老害」はいいですよね、何も言わんでも。そろそろ当事者になるのではないかと気になってまいりました。自戒を促してくれてどうもありがとう。

 「誰が~殺すのか」は、「殺す」という物騒な言葉で潜在的読者の下世話な好奇心をを引きつけようという出版社の仕掛けでしょう。面陳されていたのは塩野七生の著作でしたが、ちょっと調べたらわずか数分で、『だれが「本」を殺すのか』『誰が科学を殺すのか―科学技術立国「崩壊」の衝撃』『誰がアパレルを殺すのか』『誰が農業を殺すのか』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』と類似タイトルを相次ぎ発掘。殺しすぎだろ。
 
 私が最初に「殺すのか」系タイトルに出会ったのは、『ネットは新聞を殺すのか:変貌するマスメディア』(NTT出版、2003年)。今や新聞どころかネットも含めメディア全体が死にかけてるような。現状否定と時流に抗えない虚無感が強調され、未来への希望をあまり感じさせないので、「殺すのか」系タイトルには正直、あまり好感を抱けない。売れるのかもしれんけど。

 「昭和史」。なぜ今昭和なのか。平成じゃいかんのか。分かりません。平成は歴史になるにはまだ早いのか。

 「戦略」「地政学」はビジネス・教養ジャンルの定番となった感がある。どちらも定義が曖昧だが、使うと何か物が分かってるような印象を与えられる、おじさん向け意識高い系言語でしょうね。でもおじさんだから「解像度」は使わないという。

 「家康」は言わずもがなNHK大河ドラマの便乗商法。第1回を鑑賞したわが家の大蔵大臣いわく「鎌倉殿とテイストが似てるのよ~」とのこと。大河というと、竹中直人がふんどし一丁で尻をぷりぷりさせながら「殿~」とか言ってたなと思って調べたら、1996年放送の『秀吉』だった。もう30年近く前になるのか。わしの死期も近いな。昭和も歴史になるわけだ。

 「アントニオ猪木」。合掌です。この人の名前にビビっとくるということは、聖子ちゃんに熱狂した昭和生まれである証か。昭和も歴史になるわけだ。

 「不倫」は願望ではありません。イケおじ関連書籍も隣に並べてほしかった。しかしイケおじって、あと少しで死語化しそう。

 「スマホ失明」、これより緑内障とか白内障の方が怖いお年頃になりました。「至極のラーメン」は実にいい響き。ラーメンで「究極対至高」誌上対決とかやってはくれまいか。淡麗系が好みなのだが、日本橋界隈にはあんまりないかな。

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