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第2話 細胞の想い


退院してからもしばらくは、日常生活をまた新しく構築していくのに試行錯誤した。
小学校に復帰したとはいえ毎週のように通院もあったし、そもそも当面は車椅子となったので登下校の送り迎えも必要だった。
お風呂の介助から歯磨きの支度まで、ひとつひとつ工夫しながら最適解を探していった。

 私自身の心の傷も未だ生々しく、親として守ってあげられなかったこと、代わってあげられなかったことへの自責や、この子の将来に対する悲観の思いなどが急に押し寄せて来ることが多々あった。運転中に偶然救急車にでも出くわそうものならぼろぼろと涙が止まらなくなることも多く、個室空間なのをいいことに号泣することもあった。

 だけどこの時期に、そんなネガティブな思いを癒してくれたのもまた、目の前で笑っている我が子そのものだった。 



 赤ちゃんがもし喋れたら、生まれてからの初めてづくしを、ひとつひとつどんなに感動しているのかを言葉で伝えてくれるのではないだろうか。

 あきらはまさにそれを私に教えてくれた。
図らずも、大きくなった我が子からそんな疑似体験をさせてもらえたことは、私にとって幸運なことだった。
 退院して家に向かう車に乗ったときは、まだ病院の敷地内で徐行運転だというのに「早い、早い!」と驚いていたし、ずっと我慢していたコーラが解禁になった時には久しぶりの炭酸の強い刺激を、目をギュッとつぶることで逃がしながら、さらに涙をこぼしながら美味しいを連発していた。
家での諸々がこなせるようになってからも、うまくできないことを承知の上で、でんぐり返しに挑戦しては布団からはみ出して大笑いしているし、時期的な関係で待たされに待った大好きな雨の日には、しょぼい通り雨だったにもかかわらず両腕に、顔に、雨粒を堪能していた。

 五感があるということ。

 こいつのせいで入院中は、痛かったし辛かったし気持ち悪くもあった。
だけどそれは肉体の感覚のひとつの側面でしかなく、その辛さの中にだって、体が楽になる瞬間も安堵する瞬間もあったはず。
 そしてなにより、五感を感じているからこそのあきらのバカ笑い。
学校で、あきらの車椅子はロケットエンジン搭載なのだとクラスの子たちに言われたらしい。同級生の半分しかない体重で、ひょろひょろの腕でスピードなんか出ないのに。「腕、疲れたー!めっちゃ痛くなっちゃったよ」。そういってまた笑ってる。

 軽くなったなりに大きくなった体を、抱き寄せる。頭を撫でてみる。うん。悪くない。細胞にさざ波が走るよう。
手を離すと、「気持ちいいからもっと撫でろ」と要求される。

 肌感覚の温もりが徐々に心もあたためてくれた。
救急車を見ても、涙することはなくなった。


written by ひみ 

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。
けーこ登場までカウントダウン、go!!


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