辺境料理人

ドイツに渡独して13年目。地中海の端っこキプロスに1年間の単身赴任を終えて再びドイツに…

辺境料理人

ドイツに渡独して13年目。地中海の端っこキプロスに1年間の単身赴任を終えて再びドイツに。9月から北ドイツの港町で新しく飲食ビジネスを展開。事業復興、立て直し和食料理人。 https://m.youtube.com/channel/UClnuH4oroKGQbynQtD0L62w

最近の記事

さらに遠く、遠くへ

料理人になって24年になります。 京都で10年 渡独して14年 人生の半分近くを料理人として生きているわけですが ここまで一つの職業を続けてこれたのも ひとつの事にのめり込んだら ひといちばい辛抱強く 続けるだけの集中力が持続する そんな僕の性格が功を奏したと思います。 僕はもともと 人から指示されることが苦手だった。 興味が持てない勉強は ただただ苦痛でしかなかった。 もともと食べることが好きだったので、 美味しいものが自分で作れる そんな喜び

    • 懐かしい空に

      先日、キプロスでの同僚からメッセージが届いた。 「シェフ、お元気ですか?」 彼女はフレンチ出身の若いコックだった。 MATSUHISAという、 世界的シェフNOBUの店で働ける機会を得て それを自分のキャリアにして さらにもっと広い世界を見ることを 夢見ていた。 「私にとって、心からリスペクトできたシェフはあなただけでした」 彼女は僕をそう讃えてくれた。 僕は一年契約という、 限られた時間の中で「そこ」で働いたに過ぎない。 MATSUHISAには、ある

      • 廻めく2020年

        2020年、 この年は間違いなく歴史に刻まれる年となった。 多くの方が亡くなり、 たくさんの希望が失われた。 「がんばれがんばれ!」 その言葉は 重く肩にのしかかり、 強いられたマスク生活の中で ただでさえ息苦しいのに 心までが押しつぶされそうになる。 アナログな心は より心を閉ざしただろう。 勝ち組と負け組のコントラストは極まり、 それが正解か間違いかに 常にマイクを突き立てられ 答えを求められているような気分になる。 いろんなため息が聞こえ

        • 50代以降の「働き方」についての考察

          僕は50代に入り、 10年前に出会い、そこから約3年間お世話になった店に 再び舞い戻ったわけですが、 今回のこの転職には 自分にとって 今までにはない「働き方改革」 という意識の芽生がありました。 20代から30代にかけては 日本でとにかくがむしゃらに働いて、 家族を養うためと、 自分のスキルを上げるために、 文字通りの馬車馬として働きました。 37で渡独してからの13年間は、 ただひたすらにキャリアアップの為の試行錯誤でした。 移住してからは常に

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          海外寿司についての考察

          ここで述べる「海外寿司」についてですが、 いわゆる日本人以外の方が作る寿司について、 それをどうのこうの… というお話ではありません。 これは、日本を離れて 外国で作るようになった自分の寿司についての考察 です。 僕は寿司一本の バチバチの「寿司屋」で働いたわけでありません。 寿司も置いているし、一品料理も、 創作料理も置いている、 ご家族で利用してもらえる日本食料理店で働いていました。 それでも「寿司」とはこうあるもんや、と 教えを乞うて、 京都

          海外寿司についての考察

          体調管理についての考察

          僕は2007年にドイツに移住して以来 風邪らしい風邪をひいたのは、 この2007年のとき以来です。 ドイツ語もままならない中、 ふらふらになりながら 高熱で体の震えも止まらずに、 節々が痛くて病院の待合室でうずくまっていた。 間違いのない風邪だ。 それも悪質なやつ。 診断の結果、「インフルエンザかもしれません」と。 かもしれません? うん、そうだろうね、と思う。 で、お薬ください。 でもくれなかった。 「換気をよくして、水分をよく取って」 「お仕

          体調管理についての考察

          海外和食ってなんだ

          日本国外で展開する和食を 「海外和食」と呼ぶ場合がある。 世界で展開する和食に 必ずしも日本人が関わっている必要はなくて それぞれの地域や文化に対応して変化したJapanese foodが存在しているのだ。 日本人が作る日本食が最も優れているとは 僕は到底思えないと確信している。 中にはとても熱心に日本食を学んで それを料理に生かしている(非日本人)料理人にも多く出会った。 日本食だから儲かるとか 日本人を使っているから他店と差別化を図れるからとか それ

          海外和食ってなんだ

          海外で日本料理をやる理由

          僕の友人は 高校時代からドイツに行きたくて、 英語の授業はそっちのけで ドイツ語の勉強を一生懸命にやっていた。 僕は英語は愚か、 外国語にはあれこれ手を出しつつも 結局長続きしなかった。 外国への憧れはあったけれど、 ここではないどこか そんな茫漠とした考えしかなかった。 流れ流れて、 運命に身を委ねるようにして 日本を離れて もうすぐ15年になるわけだど ただただ、流されるままに ここにたどり着いたって感じ。 でもよく考えたら、 本当にぼん

          海外で日本料理をやる理由

          料理人が販促をする時代

          インターネットが普及する以前、 僕にとっては渡独した2007年が この大きな節目になっていると思う。 前年には初代iPhoneが販売を開始した。 それを皮切りに 次々にスマートフォンは巷に普及していったし、 インターネットでショッピングする機会は 生活の中で必須となっていった。 それ以前もインターネットはあったけれど、 今のような手軽さとは程遠かった。 時代はまだアナログでいても 体裁は整えていた時代だ。 それまで料理人は料理を作る仕事であり 自分の

          料理人が販促をする時代

          営業規制延長 in Germany

          昨日の発表で ドイツの飲食店の営業規制が12月20日まで延長されました。 要するにイートインでの営業は禁止というわけです。 国は11月からの営業補償をそのまま延長するという事ですが、 飲食店を実質的には補償し切れないだろう というのが僕の本音です。 実質的な給与収入よりも チップで賄ってきたサービス係や短期労働者、 パートやアルバイトさんには この補償は該当しないので、 とかく物入りの年末に それが見込めないわけです。 完全にホワイトで 収入に大きな

          営業規制延長 in Germany

          やりたくてやっている事

          やらされてやる事には 不満がつきものだ。 でも、よくよく考えてみると それもまた自らが選択した結果であるということ。 やらされる環境に身を置いて それに甘んじているわけだから、 やらされている環境に身を置いて そこにネガティブな感情を抱いていても 生産性は生まれてこない。 やりたくてやっている事で生きる。 それがいつもうまく行くとは限らないけれど。 やりたくてやっている事だから 失敗しても 結果が出なくても 全ては「過程」に過ぎないから、と まだ

          やりたくてやっている事

          ケルンという街の魅力

          ドイツ移住のはじまりがケルンでした。 住むようになる前に 僕はこの街を2回訪問しています。 しかしその時の僕は やがて住む街になるなんて 想像もしていませんでした。 人生ってわからないものです。 しかしはっきりと言えるのは 旅行で訪れていたときと 住むときでは その街の印象はまるで違ってくる、 ということですね。 約3年半住んだこの街ですが、 この街の魅力について いまだに容易には語れません。 とにかくいろんなものに 慣れるのに時間がかかったし

          ケルンという街の魅力

          エピデンスに安堵するな

          今の時代に正攻法はあるだろうか? 2020年はそんなことを つくづく考えさせられる一年だ。 全てのエピデンスを揃えて いざ行動に移そうとするときに 時代の曲面は すでに次のフェーズに移っているだろう。 「根拠」は机上に置き去りにされて 「ビジョン」は蜃気楼のように覚束なくなる。 欲しいはずの結論は 実際に手に掴んだことでしか得られないことを 当たり前のこととして知っているはずなのに 掴むその以前に 手に触れて確認したがる。 時代の移ろいは 常識を

          エピデンスに安堵するな

          赤いスイートピー

          松田聖子さんの 赤いスイートピー 不意にYouTube のおすすめに出てきた。 無意識のうちに再生して 荒い画質の歌番組の映像に映る 聖子ちゃんに見入る。 僕はとても切ない気分になる。 まだ僕の家族が 幸せに団欒を囲んでいた時代の面影が 蘇ってくる。 それは随分遠い昔の話だ。 とてもとても 遠い遠い昔の話だ。 時間だけじゃない。 僕はその離れてしまった 「距離」について考える。 子供の頃に 夜空に浮かぶ星空を見て その光が何万光年も隔てて

          赤いスイートピー

          現場からは以上です。

          家族を連れ添って海外に移住 来年で15年目に突入します。 それを目前にしての、このパンデミック。 長く料理人として生きてたわけですが、 これからの時代 料理人がどうやって生きていくのか 深く掘り下げて考えるには あまりにも濃密な日々が続いていると言えます。 キプロス生活のときに このテーマについてはnoteに書き綴りました。 1回目のパンデミックでは まだポジティブであれた僕の思考回路も この2回目のパンデミックで 一抹の不安が拭い去れなくなっていま

          現場からは以上です。

          ミュンヘンという町の魅力

          2013年から約3年間暮らした町 ミュンヘン。 あの町の不思議なところは、 そこに住んでいる時は 自分が「ミュンヘナー(ミュンヘン人)」 である事にプライドを持って生きてなければ、 そんな自覚が芽生えたことです。 町は綺麗だし、治安もいい。 物価は安くなくて、 教養のある人、知識人が 礼節をわきまえて暮らしている。 だから自分もそれに倣って 背筋を伸ばして暮らさなければ、と思う。 それが人に自信と誇りをもたらすのだと思う。 と、これがポジティブな一

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