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パンプスを捨てて昔の私としばしさよならをした。

出産前、地道にいらないものを整理した。

キッチン周りやリビングの棚など、気になるところは無数にあった。
ただ日々重くなる身体ではなかなか1人で出来ることも少なく、またすぐに疲れやすいため毎回「これはまた今度…」と後回しにしてしまっていた。

もっと言うと生まれるまではまだどこか子供がいる生活を想像出来ていなかった。
「生まれたら整理整頓どころじゃないから今のうちに」と多くの先輩ママが言っているのも知っていたけど、心のどこかで「まぁなんとかなるだろう」と思っていた。

でも例に漏れず、生まれたら「なんで出産前にもっと片付けておかなかったんだろう」と思うことばかりだった。

ただパンプスだけはなかなか踏ん切りがつかなかった。
そのパンプスは私が今の会社に入ってすぐの頃、想像以上の多忙さに心が追いつかなくて、それでもなんとか踏ん張りたくて東京駅の大丸で買ったものだった。
いつもなら履かない、少し高めのヒールのパンプス。

その頃はまだ20代で「東京でバリバリ働く」イコール高めのヒールパンプスだった。完全なる固定観念。

「ヒールでの通勤は辛い」
わかっていたけど、形だけでも強く、少しでもかっこよくありたかった。
結局通勤だけそのパンプスを履いて、社内では楽なサンダルに履き替えてたりしたけれど。
それでも自分を鼓舞するために買った、一度修理にも出して履き続けた大事なパンプスだ。

けれど出産後はそのパンプスもついに捨てた。

妊娠中からぺたんこ靴で通勤してたし、もっと言うと買ってしばらくはそのパンプスも履いていたけど、30代になった頃から急に「足を酷使してまでヒールを履かなくてもいいか」とノンヒール生活だった。
少しずつ仕事に慣れてきて、人間関係も築けてきてヒールで背伸びしなくても良くなったのもあるかもしれない。

それでも私がそのパンプスを今まで捨てられなかったのは、捨ててしまったらあの頃の自分も消えてなくなってしまうような気がしたのかもしれない。

けれど娘が生まれた今、まず履くことはない。
たとえ仕事に復帰してもスニーカーかぺたんこ靴だろう。

今の私には形だけの強さもかっこよさももう必要ない。
ただひたすらに地に足をつけて1歩1歩歩んでいくだけ。

過去の自分は消え去ったのではなく、たぶん、しばしのお別れをするだけだ。
娘が大きくなってどこかで背伸びしたくなったらその時はまた新しいパンプスを買おう。

もしくは私はやっぱりもうヒールなんてこりごりで、むしろ娘の方がヒールのあるミュールを欲しがる日が来たりするんだろうか。


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