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マーケティングにおいて、理論や知識が前か後かという話は成立するのだろうか?

本の中身を見ていないので、本書の内容の話ではなくあくまでも記事タイトルについての話です。

「理論や知識の前に」って、どうしてそういう話になってしまうんだろうなぁ。


前も後もなくって、両方でいいと思うし、そもそも理論や知識というのは、それらを知ったところですぐに使える場面が来るわけではない。一つには使える場面が来たときの準備みたいな側面もあれば、そもそも理論や知識というのは、それらをそのまま実務に使うことはなくても、頭を鍛えるトレーニング的な部分もあると思う。


理論、知識、実践というものを、一つの地平の中で並べて必要か必要でないかという話をしても、それはいい筋の話ではないと思う。むしろ、それらは位相の違いなのであって、“どちらか”の話にはならないと思うわけですよ。


例えば私の分野でもある、service-dominant logic なんて、マーケティングやサービスの研究者の間にでも、「どのようのこの考えを実践の世界に適用・応用するのか?」って議論がずっとあって、まだまだ実践の世界に使うための確立された方法論に行き着いてない。しかしながら、無理やりフレームワーク化してそれを実践に活かそうとするよりも、「なるほど、そういう世界の見方もあるのか」といった“レンズ”を提供してくれるのが、例えば service-dominant logic だったりする。なので、理論や知識というのは、「実践にいかに使うか?」だけではなく、教養が世の中を見え方を(ユクスキュルが『生物から見た世界』で世界の分節化について語ったように)鮮やかにしてくれる、“見え方”を提供してくれる機能面としては、非常に重要に思う。


で、そういう“見え方”を多様に持てない人ほど、“実践的フレームワーク”みたいなのに頼るんじゃないかな。“見え方”を変えずに、“手段”を変えてばかりになってしまうような。それって、シングルループ、ダブルループラーニング止まりだよね。トリプルループラーニングのように、“自省”という、自分の考え方やモノの見方を疑う機会がきっと得られない。なので、“手段”ではなく、“考え方”に誤りがあったりすることに気づけないのではないだろうか?

あと、、、、、そもそも実務家が「理論」と思ってるものは本当のところは理論でもなんでもなかったりするし、あるいは「理論なんて実務に役に立たん!」みたいなこと言ってる人が一方で「オレの考えた理論」を振りかざしたりするのが、マーケティング界隈なんですよね。。。溜息

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