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第5回 内外合一 活物窮理:日本の近代外科学を作り上げた華岡青洲の麻酔薬と整骨術

華岡青洲(1760〜1835年)

ケガや病気で苦しいとき,痛みがなければ頑張れそう,そう感じるのは古今東西同じである。かつての治療は(といっても今も,だけど)患者に痛みを我慢させなければならないことも多い。痛みのない治療,痛みのない手術は昔から人類の夢であるといえる。

麻酔薬の歴史を紐解くと,実は紀元前から痛みをとる薬というのは存在していた。紀元前4000年にはヒヨスという臭気のある植物で鎮痛・鎮静作用があり,メソポタミア南部で抜歯に使われていた。これはシュメール人の粘土板から証明されている。その後,紀元前300年頃にはアヘン,ヒヨス,マンダラゲを用いた催眠海綿を用いて麻酔を行っていた。その他,大麻,ケシ,マンドラゴラ,大量のアルコールなども使用され,意識消失や鎮痛薬として内服されていた。ヒヨス,マンドラゴラ,マンダラゲはナス科の植物であり,アトロピンやスコポラミンといったアルカロイドが含まれている。大量摂取で精神混濁のような睡眠ができたと思われる。ケシは麻薬であるモルヒネやコデインを含む植物である。大量使用で催眠や現在の麻酔に近い状態になると考えられる。このような物質を用いての麻酔は紀元前4000年から1840年代まで,6000年間続いた¹⁾。1840年代になると亜酸化窒素(笑気),エーテル,クロロホルムなどの揮発性物質による吸入麻酔薬が使われるようになる。静脈麻酔薬は1930年代になってからである。ちなみに,マンダラゲ(チョウセンアサガオやキチガイナスともいう)は華岡青洲が完成させた麻酔薬「通仙散」の主成分である。これに,トリカブト,ビャクシ,トウキ,センキュウといった漢方薬を加えて完成する。

青洲が麻酔薬の開発に着手するきっかけになったのは,山脇東洋の門下生であった永富独嘯庵(ながとみ どくしょうあん)の書いた「漫遊雑記」で“欧米諸国は日本ではまだ試みていない乳癌の手術を行っている”というくだりを読んだためとされる。青洲はこのとき,乳癌治療の成功には痛みを取り除いての手術が重要と考えたのである。1804年,青洲が44歳のとき,通仙散を使用した全身麻酔による乳癌の手術を成功させた。ジエチルエーテルを用いたアメリカでの乳癌手術(1846年)より42年も早かった。

青洲は乳癌の治療のみならず,整形外科領域においてもその実力を発揮している。彼はまったく医学書を書かなかったが,門下生が青洲の教えや治療の本を作成している。特に『青洲華岡先生整骨図説』では脱臼の整復方法が書かれており,青洲の豊富な経験に基づき,先人の参考書で非合理的で非実用的な術式が削除されている。細かな解説は書かれていないが,ほぼ全身の関節の脱臼の整復方法が図で表現されている(図1)。しかしながら,脱臼の整復に通仙散を使用したかどうかの記載はない。きっと効果が発現するのに時間がかかりすぎるので整復のときには割愛したのではなかろうか?

タイトルの「内外合一 活物窮理」は外科のみならず内科も学べ,患者の状態をよく観察し,十分に把握したうえで治療せよ,自分自身がそのことを忘れないために,戒めのための文章とされる。これは言い換えると漢蘭折衷(漢:内科,蘭:外科)を意味している。

文献
1)蒲原 宏 . 日本の近代整形外科が生まれるまで .整形外科1926;13:64-1136.

(『関節外科2022年 Vol.42 No.12』掲載)



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