見出し画像

第6回 彼はいったい,何処の惑星からやってきたのだろう:不自由を超えたサッカー選手Garrincha

Garrincha(1933~1983)

本日(11月24日)の日本は朝っぱらからアツかった! というのも,昨夜ワールドカップサッカー日本 vs.ドイツで日本が逆転勝利したためである。しかも,かつてのワールドカップアジア地区最終予選で敗れてしまった「ドーハの悲劇」と同じカタール,ドーハでである。なんだか運命を感じるような。ラグビーもそうだけど,確実に強くなっている,日本って。このエッセイが載るのは決勝戦(12月18日)の直後になるはずだけど,その後,日本チームはどこまで勝ち進んだだろう。

ワールドカップつながりで,何か偉大なる人はいないかなーと探すと,Garrincha(ガリンシャ)というブラジルのPelé(ペレ)と並ぶ選手にぶち当たった。ガリンシャ(本名:Manoel Francisco dos Santos)は6歳のときにポリオ(急性灰白髄炎)に感染してしまう。炎症の主座は脊髄前角の運動神経細胞であり,弛緩性の麻痺や筋力低下,筋萎縮が発生する¹⁾。このポリオによってガリンシャの左右の脚の長さが約6cm違ったそうである(左が6cm短い)。また,高度な側弯も伴っており,成長が止まった後も,サッカー選手としては小柄(169cm程度)であった。私はかつて,大腿骨遠位の骨端線損傷(Salter-Harris分類の5型)で気が付いたら4cmほどの脚長差になってしまっていた中学生の症例を経験したが,彼女は長いほうの脚を曲げ,それゆえ骨盤も不自然に傾き姿勢が非常に悪くなっていたことを思い出す。ガリンシャはこの不自由だろうと思われる脚長差をものともせずに体を鍛え上げ,トリッキーなドリブルやフェイントを編み出している。彼の動画を見ても脚長差や筋萎縮があるような印象はまったくなく,大きな動きのフェイントで軽々と相手を抜き去っていく姿が印象的であった。

彼のドリブルやフェイントを止めるために相手チームから相当なラフプレーを受け,なおかつ本人の曲がった脚での運動による負担からガリンシャの膝は悲鳴をあげるようになった。1953年7月のデビュー戦から9年後くらいの時期である。1963年には膝の痛みのため毎試合の出場が困難になり,1964年に膝の手術を受けることになる(おそらく変形性膝関節症の手術ではないかと思われる)。ガリンシャは膝の痛みを自覚したときから,手術で自分の動きが失われることを懸念し治療を拒否していた。術後は懸念どおりであり,彼に全盛期の動きが戻ることはなかった。引退後は酒に溺れ,不遇の人生ではあったが,彼の死後サッカーの王様ペレは「ガリンシャがいなければ私はワールドカップで3度優勝することはできなかっただろう」と述べている。実際,ペレとガリンシャが共に出場した試合は負けなしだったという。変形性膝関節症は原因不明の場合もあるが,たいていは過度の運動や外傷により膝関節の関節軟骨の摩耗が発生することで起こる。ガリンシャの膝は相当ボロボロだったに違いない。

(追記)11月27日の試合でコスタリカに敗れてしまった(泣)。

文献
1)Estivariz CF, Link-Gelles R, Shimabukuro T. Poliomyelitis. Epidemiology and prevention of vaccine-preventable diseases. 12th edition, second printing. CDC;2012.

(『関節外科2023年 Vol.42 No.1』掲載)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?