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【口が裂けても言いたい話】「ポジティブについてネガティブに考えてみる」

過去のnoteでも何度か書いてきたと思うが、私は、根っからのネガティブ人間である。これはもう、単なるネガティブを通り越して「ポジティブアレルギー」と言ってもいい。テレビで最近よく見かける、声がただただ大きいだけの量産型ポジティブタレントを見るだけで思わずチャンネルを変えてしまうぐらいなのだから。

世の中は今、空前のポジティブブームである。ポジティブこそ正義、ポジティブこそ素晴らしい、ポジティブでなければ生きられない……テレビや自己啓発本などから発せられるメッセージには、無意識にせよ意識的にせよ、過剰なまでのポジティブ礼賛が込められている。

私も別に、ポジティブそのものを毛嫌いはしていないし、頭ごなしに否定するつもりもない。

ただ、これほどまでに「ポジティブであること」が称賛され、強く奨励される世の中は、逆説的にとらえれば病んでいると考えられないだろうか?

ここ数年、芸能人による介護体験の告白がブームのようになっている。阿川佐和子の「看る力」は異例のベストセラーとなったし、最近でも元オセロ・松嶋尚美が実母の介護生活をインタビュー上で告白し、話題となった。

著名な芸能人によって語られる介護体験は例外なくポジティブで、時としてコミカルですらある。「辛いことも確かにいろいろあったけど、結局は楽しいこともあった」というメッセージが表紙からも伝わってくるものばかりだ。

介護の本質は「楽しむこと」。その御託宣に異論はない。同じ状況でもできるかぎりポジティブにとらえ、楽しんだほうが介護の質も上がるし、気分も前向きになるだろう。

しかし現実として、介護は楽しいことばかりではない。障害や病気が重度であるほど、そして、介護生活が長期化するほど、辛くネガティブなことの比率のほうが大きくなるはずだ。

そんな時、「ポジティブ=正義」とされてしまうと、どうにもならないネガティブな感情、日常は行き場を失ってしまう。言葉というフィルターを通して過度に「ポジティブ化」され、余計なものが省かれた物は得てして、現実の介護体験とはかけ離れていたりする。

障害者自身もまた、ポジティブ信仰の洗礼から無縁ではいられない。乙武洋匡氏の「五体不満足」以来、「障害があっても明るく生きる」ことがひとつの大きなロールモデルとされ、障害という事実をポジティブに語ることが障害者にとっての必須テクニックであるかのように言われるようになった。

ここで重要なのは、「ポジティブにとらえる」ではなく、「ポジティブに語る」ということだ。

つまり、心の底ではどんなに障害をネガティブにとらえていたとしても、表向きポジティブに語り、ユーモラスに見せることができればひとまず世間には受け入れられるのである。

時代が変わっても、その基本構造は変わらない。障害者YouTuberはみずからの障害を切り売りし、あけすけに語ることで幅広い支持を出ているし、テレビに取り上げられるのは明るくポジティブで、「ネタをたくさん持っている障害者」ばかりである。

決して、そのことを批判したいわけではない。テレビでは少しでも視聴者ウケのいい素材がもてはやされるものだし、視聴者の好みに合わないネタは容赦なく自然淘汰される。今はたまたまポジティブ全盛の時代、ということなのだろう。

しかし、そのことが本当の意味での障害者・健常者の相互理解につながるかと聞かれれば、「ちょっと待てよ」と言いたくなってしまうのである。

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