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日本人が農耕民族になった時から少子化は運命づけられていた

noteの更新が毎日のルーティンになりつつある。今日は少しばかり壮大なテーマで記事を書いていきたいと思う。

少子高齢化に歯止めがかからない。

その直接的な原因は、生まれてくる子どもの数が年々減っていること…そんなのは、小学生でもわかる理屈だ。

とはいえ、結婚している女性が将来「産みたい」と考える子どもの平均人数はこの30年ほどでさほど変わっていないから、結局は、「産まないという選択をする女性」が増えたことが日本の少子化の根本的な原因だと考えられる。「産めない」のではなく、「産まない」のだ。

では、産まない選択をする女性が増えているのはなぜか?それは……人類が農耕民族になったからである。

「???」

そう思われるのも無理はない。だが、もう少しだけ我慢して付き合ってほしい。

人類はもともと、狩猟民族であった。コミューン単位で獲物を捕獲し、仲間同士で消費する。塩漬けによる加工も発達していなかった当時は食糧を保存する技術もなく、狩りによって得られた獲物は基本的にその日のうちにすべて食べ尽くすしかなかった。

数百万年の時を経て日本列島に渡った人類は、やがて農耕というシステムを開発した。

みずからの手で土地を耕し、農作物を育て、収穫する。農作物は肉類や魚介類と違って保存が聞くので、「一時期にまとめて作って保存し、時間をかけて消費する」というプロセスが可能となった。

狩猟生活から農耕生活へ……中学の歴史の教科書にも載っている大きなパラダイムシフトは、「分業」という新たな仕組みを生み出した。

農作物を生産する人間と、そうではない人間。ふたつの階層がひとつの社会の中に生まれることとなった。生き物を直接相手にする狩猟清潔では一度の狩猟にかけるべきコストが大きく、システム化も難しい。狩猟民族の世界では分業と言っても、獲物の正面を狙うか背後を狙うか、先陣を切っておびき寄せるか……といったレベルだったのだろう。

農耕生活への転換は、食に対する不安から人類を解放した。農耕に適したある程度の広さの土地さえ見つかれば、まとまった農作物を定期的に作ることができる。種まきから収穫までをシステム化できれば、最小限の人数でコミューン全体の食糧をまかなうことも可能になる。

こうして、食糧調達から多くの人間が解放されることにより、経済や製鉄、文化が発展し、社会がより豊かになっていった。

これと同じことが現代の日本でも起きているのではないか。

誤解を恐れずに言えば、弥生時代の農作物は、現代の子どもである。

有史以来、「子どもを産む」ことは、女性に与えられた役割であった。ある一定の年齢に達した女性はその属性によって一括りにされ、次世代を産み育てるという仕事を一方的に押し付けられる。

しかし、文明は進み、社会は豊かになった。社会の豊かさは女性に「産まない」という選択肢を与え、肯定した。

一連のパラダイムシフトにより、少なくない女性が子供を産むという役割から解放され、自分自身の人生を生きられるようになった。ちょうど、農耕生活への転換によって多くの人類が狩猟から解放されたように……。

社会全体が豊かになれば、分業は必然となる。それは、日本では神格化されつつある女性の出産も例外ではないのである。

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