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今日の私は、家族の中での自分を位置づけるPart1

10,531日目

下書きを見直していて、家族に関する記事を見つけた。

両親を中心に家族は私に無償の愛をたくさん注いでくれた。今も注いでくれている。

時々、大人になった私には、親としての愛情が重荷になって、安全な・無難なレールを歩まないといけない気になってしまうけれど、それでも注いでくれる愛に関しては感謝してもしきれないことは確か。

私が、「人間」を好きになり、コーチングを仕事にしているのも、家族の影響もあると思っている。原点。

自分が家族とどうありたいかということも含め、私の家族を紹介してみよう。

家族構成


父と母、3人兄弟の5人家族。

2つ上の兄と4つ下の弟に挟まれている長女。


香川県生まれ、育ち。伝統的な瓦造りの家と田んぼの中で育つ。

父も男・女・男の兄弟構成で長男。

年末年始やお盆には、親戚が大勢集まる家で、しきたりや慣例がある。

長男として、を幼い頃から意識していたという。しっかり者、出来が良い息子として、今も責任感が強い。

大学生のころから関西に出てきて仕事をしているので、都会の考え方というのも理解しているが、伝統的な考え方も大切にしないといけないと思っている。

私の推察だけれど、田舎に戻る時期が近づいてきた父は、長男として、どこまで伝統やしきたりを変えずにいくのか、どこから変えていくのか、をひとつずつ検討・吟味しているように見える。

旅行が生きがいで、GOTOキャンペーンがある今、次の旅行を設定し計画することが今の楽しみだという。

私との関係

父にとっては、私は永遠の娘。大学の進路で悩んだ際、あらゆる可能性を調べて道筋を照らしてくれたことには心から感謝している。

時々、父の私に思う理想を語るのはやめてほしいなと思っている。ムッとせずに「わかったわかった」とスルーできるようになってきた。

親元を離れ一人暮らしをし、コーチングを勉強し、社会人としての経験を積み、を重ねる中で、ようやく一人の人間として会話ができるようになったのがうれしい。

父は、長男として・しっかり者として振舞う傾向が強い。なので私は家族として、父が弱音や迷いを話せる場を提供できたらいいな、と思う。


神戸と大阪に程近い都会出身。幼少期からマンション暮らし。

弟のいる長女で4人家族。

親戚付き合いは都会らしくドライ。中高一貫校の女子校に通っていた。

テニスが家族の趣味だったらしく、家族とコートを借りて友人も交えながらテニスをしていたという。

母の母(私の祖母)が、料理・裁縫・家事全般に長けていたこともあり、母自身はそれらが得意じゃないと思っている。

英語をはじめとする言語や外国との文化交流が好きで、在日外国人に日本語を教えたり、国際会議でリエゾンをしたりしている。

子供3人を育ててきたので、今は外の世界に向かっている。社会的に自分の存在に自信を持ちたい、という気持ちが強い。資格を数々取得しようと意気込んでいる。

一方で、周りに気遣いや共感をしすぎる繊細な部分(HSP気質)も併せ持っているので、度々疲れ切ってしまっている。

外向きな母は、父が計画する旅行に喜んで行っている。

私との関係

私と母は親友のような存在。つらい時も悔しい時もいつも味方でいてくれる。

お互いに悩んだときに相談をできる仲ではあるけれど、私は母のことをいつも心配してしまう。

母が、自分に自信を持てないというところを、「そのままでいいんだよ」って伝えているけれどなかなか響かない。いろいろなことをがんばりすぎてしまっているように見える。

母と話すときには、ソファでおいしいハーブティを飲むようにくつろぐような場を提供したいと思う。



長くなってしまったので、兄弟についてはまた次回。





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