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今日の私は、家族の中で自分を位置づけるPart2

10,533日目

この間の続き。

下書きに残っていた家族に関する記事から自分と家族の在り方を考えてみる。

兄弟編。

⇓ 親編(Part1)はこちら

家族構成


父と母、3人兄弟の5人家族。

2つ上の兄と4つ下の弟に挟まれている長女。


長男家の長男として生まれた兄は、やはり責任感が強い人に育った。

幼稚園から高校の時までサッカーを続けてきたサッカー少年であり、中学に進むと家族行事である旅行よりもサッカーを優先していたし、思春期には親へ反抗的な態度も取っていた。

大学受験で失敗し、鬱々としていた時期もあったけれど、持ち前の粘り強さでその雪辱を大学院で晴らし、人が変わったように自己肯定感がある程度強い人になったように見える。

本人も話していたが、「苦手なことを乗り越えたときの達成感が好き」だという。(私は、なるべく苦手なことは避けて、得意を伸ばしたいタイプだから正反対)

元々足が速くて、学校行事ではいつもヒーローだったのにそれは当たり前だから、特に達成感はなかったという。

責任感という意味では、やはり長男としてお嫁さん選びについては周りから大絶賛。

父の実家香川県出身の人を20代のうちにお見合いをして選び、(またその方がいい人で)90歳近く香川に住む祖父母を含め大喜びさせたことは、尊敬に値する。将来は責任を全うすべく香川での生活をすでに見据えている。

私との関係

生まれた時から当たり前のように一緒にいた人。
小さい頃は兄を見ながら、追いかけるように成長したらしい。

負けず嫌いの私がいるのは、少し先を進む兄がいたおかげかもしれない。

とはいえ、日常生活以外の興味は全然異なり、兄はカクレンジャー、私はおジャ魔女どれみに夢中。遊びも兄はサッカー、私は一輪車やアイロンビーズ。

兄とはよくケンカをした。お菓子のこと、テレビのチャンネルのこと...よく覚えていない。

でもたぶん私の方が、要領がよくてアピール上手な、いい子ぶりっこだったから、兄は悔しい思いをしていたかもしれない。

今では、少し変わった妹を新婚夫婦の家に招いてくれるくらいの仲。違っていいと認め合っている感じ。

今後は、生活基盤や考え方も、お互いの新しい家族形態によって、さらに差ができてくることは想像できる。この違っていいと認め合い、押し付け合いにはならないようにしたい。



3兄弟の一番下、私とは4つ、兄とは6つ離れているからか、ペットのような存在だった幼い頃。

3月下旬生まれも相まってそういうキャラクターになったのかもしれない。

月齢差が大きい幼稚園の頃にいじめにも合っていたという。「思い出したくもない」と聞いたことがある。

本人は幼さのため、いじめということにも気が付かなかったのか、「休みたい、と弱音を吐くこともなかった」という母の言葉に、姉として胸が痛む。

その幼稚園が終わるタイミングで家族の引っ越しが重なり、形成逆転。おとなしい地域の小学校低学年の頃には、周りに自分をアピールするかのようなガキ大将ぶりを覚えている。

放課後の公園での声の大きさは近所の名物だった。公園では、高学年の友人を作り勝手にネットワークを広げていたらしいが、まさに弟キャラのなせる業だと思う。

高学年になるにつれ落ち着いてきて、中学高校ではまた人が変わったようにやさしく周りに気を遣うようになった。親に対する反抗期は兄と違ってほとんどなく、人当たりよく立ち回っていたように思う。

大学生になってからとても気の合う仲間ができたらしく、中高時代は自分を抑えていたことに気が付き、居心地のよい自分ができたよう。

私との関係

上記にも書いたように、幼い頃は弟は本当にペットみたいだった。今でもその名残はあり、身長が抜かされようがかわいいな、と思う部分が多い。

幼い頃の経験からか、兄弟構成からかはわからないけれど、周りの空気には敏感。
空気を乱さないように意見を受け止めたり、さらっと伝えたりできるので、すごいと思う。

家族の他のメンバーには話せない秘密の話も弟とならできることがある。

まだあまり自分のカラーやキャラクターを理解していなかったり、染まっていなかったりする気がしているので、これから巡り合う人がよい刺激となってほしいなと思う姉心。

まとめ

こうして、一人娘・真ん中っ子としての私がここにいる。

つらつら書いていると、家族なしでは自分を語れないんだと気が付く。

人生100年時代、コーチとして掲げる私の「一人ひとりとの絆を心から大切にする」という生きる目的。

家族にも当然あてはまる。

近いから客観的に見ることが難しいときもあるけれど、「心から大切に」したい家族のお話でした。


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