人生を一緒に育てること
私にとって "コーチングとは何か" を伝えたい。
植物を一緒に育てること
今、一番しっくりきている比喩。
”植物を” ”育てる” ”一緒に” の順にそれぞれを説明してみる。
植物を
発芽して枯れていく植物は、コーチングを受ける人の人生のこと。
ある人は、フタバとなり、蔓を伸ばしていくつも花を咲かせるアサガオかもしれない。
ある人は、幹を太くし、とげとげの葉っぱとひだひだの球果を落とす松かもしれない。
ある人は、たっぷりの水の中で茎を伸ばして太らせて、穴がたくさんあるレンコンかもしれない。
一人ひとり植物は異なる。だから育ち方も違う。
育てる
人生である植物を"育てる"、と言った。
けれど植物は、その生まれた環境で育つ力を持っている。植物は育っていくものだ。
すくすく、のびのび、ぐんぐん と意識をしないうちに 育って いるときには、敢えて ”育てる" ことを考えないだろう。
けれど、ある時
・これまでと同じようにいるのに、思うように伸びていないぞ。(成長に壁を感じる)
・すごい台風が通過した、立て直すにはどうしたらいいかわからない。(逆境が襲い掛かる)
・周りの植物が美しすぎる。自分なんかどうしようもない気がする。(社会での居場所がわからなくなる)
・このまま自然に任せていいのだろうか?なんでそもそも伸びていたんだっけ?(自己の存在や行動の意味に疑問を持ち始める)
という課題や悩みに直面する。
ここで少し視座が高まり、観察するような視点になる。
人生という植物をこれからどう ”育てる” のかという視点が生まれる。
一緒に
”植物を育てる”ことにおいて、 "一緒に" 行うパートナーが必要不可欠というわけではない。
植物を改めて観察して、育て方を一人で見出していくこともできるから。
けれど、一緒に育てられるパートナーがいることの良いところは、
・後ろからみたらつぼみがこんなところにあるよ(別の視点での気づきがある)
・水やりじゃなくて、光が必要なんじゃない(複数のアプローチをアイデア出しできる)
・ここまで一生懸命伸ばしてきたんだね(成長や変化を客観的に捉えられる)
結果的に、最適な育て方が明確になる。そして、植物は育つ。
自分の人生である植物の育て方を、自分の観察眼だけで導き出すのは、常に主観と客観、ミクロとマクロの視点に意識的でいないといけないから、かなり高度なこと。
一緒に育てる意味はここにある。
まとめ
植物を一緒に育てること
コーチングは一言で表すのが難しい。
でも、人生をかけてしていきたい仕事。
一人でもコーチングの存在を知って、自分の人生が生きやすく、楽しくなったら。
詳細はこちらから
~私の流儀~
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