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今日の私は、咲き続ける紫陽花を見て

11,911日目

紫陽花がまだ咲いている。
もう1か月近く咲き続けている。

遡って6月27日。
きれいな紫陽花の壁ができている、と驚いて写真を撮った。

若々しく緑と白のコントラストが美しい紫陽花の壁だった。

6月27日 散歩帰りに

そんな矢先の6月29日夜、ひどい嵐が来た。

雷と豪雨と豪風。

6月29日 嵐
雷で空は青白く光り、街路樹はうねる
映画のシーンのようだった

桜と同じで、咲いたと思ったら嵐が来る気がするのは気のせいかな。

そんな嵐にも耐えた紫陽花の壁。

そして、1か月経った今。

7月25日 嵐に耐えた後がある
地面にへばりつく様子もあるが、
1ヶ月前より花は多いかも

若々しい緑と白のコントラストは失われて茶色っぽさも出てきてしまっているし、嵐による凹みや崩れという傷はあるけれど、
紫陽花はまだ咲き続けている。

正直、若々しい時の方がみんなに注目されて褒められることも多いと思う。

みずみずしさ、というのだろうか。これはどうしても時間が経つと失われてしまうものだと思う。

人も同じ。

熟練する良さも頭ではみんなわかっているけれど、これはきっと人間の本能。目新しく、みずみずしく、キラキラしている若さに惹かれてしまうことはある。

赤ちゃんはその極み。何もしていなくてもみんなの目尻が下がるんだからすごいパワーの存在である。


果たしてどう年を取っていきたいか?と思った時に、若さという尺度で対抗するのは何か無理な力が働いてしまうような気がしてしまう。

紫陽花のように、経験による傷(勲章といっていいのかもしれない)を積み重ねながら、それでも天命を果たすようなそんな生き方ができたらいいな。

天命を果たす…
久しぶりに使ってみて、改めて意味を見てみた。
天命とは「天の命令、天が与えた使命」

タネが芽となり茎となり、花を咲かせて散っていく…この流れを人に照らし合わせながら、天命を果たすとはどういうことなのか…?

紫陽花からこんなことまで膨らんでしまった。


言いたいことは、生き様を見せてくれてありがとう、紫陽花さん ということ。


追伸 : 今週の紫陽花たち
遅咲きの若々しい紫陽花もいる。早い、遅いも何を基準に…なんて紫陽花さんに言われてしまいそう。

深みのあるいい色だなぁ
グラデーションも美しい
階段を覆い隠す強さがある薄ピンクと
控えめな紅色




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