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今日の私は、ベルのおじさんに出会う

11,450日目

自転車のベルを持って歩くおじさんがいた。
作業服のようなものを着ていて、人とすれ違うたびにチリンチリンと腕に持ったベルを鳴らす。

なんだか寂しい気持ちになった。

単にベルが好きな人とも考えられるけれど、ベルを通して存在をアピールしているような。認識してもらいたいのかなって勝手に想像して…

確かにそのベルがあるから印象に残ったのはあるので成功かもしれない。
でも…寂しく感じた。


日向の猫のようにただいるだけでほっこり心あたたまる存在になりたい、
相田みつをさんのただいるだけでにあるような…ずっと変わっていない私のありたい姿。

あなたがそこに ただいるだけで その場の空気が あかるくなる  

さらに欲を言えば、みんながそれぞれの存在をあったかく包むような社会になるといいなと思う。
理想である。

私だって包むだけじゃなくて包まれたいし…という願望も入っているのかもしれない。


何かをしなくては、自分の価値を認められない。私も含めて人は、行動に焦点を当てて自己評価を下しがち。

得たい成果ではなく得たい質は何なのか?

表には出てくるとは限らない、自分の内側に質感に目を向けて過ごすことがカギなのだろうと思う。

私の場合はあたたかさはその一つ。

「どうするか?」より「どうあるか?」

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