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今日の私は、人と比べちゃう時を探る

11,518日目

人と比べること。


少人数での対話会も準備しており、最近考えを巡らせている。

ただ比べるというのは差異がある、違うということ。
自分と他人を比べたときに、
「比べる≒優劣をつける⇒私なんて…/あの時〇〇していたら」という自動思考が発生してしまうところが課題なのではないかと思う。過去に比べたら自分のコアや価値観が定まってきたので、いちいち疲弊することもなくなったけれど、それでも時々起こる。

この自動思考が起きないタイプの人もいて、聞いてみたら「人の事実を自分に重ね合わせたことないな」と言っていた。

では、私はどんな時に比べてしまっているのだろう、と少し分解してみた。思いつく限りでは3パターンくらいありそうだ。

1.動きたいのに自分のやり方が見いだせていないこと
漠然とうまくいったらいいなと思っていることについて、SNSや人伝いにうまくいっている人を見聞きすると、まだうまくいっていない、方法がしっくり来ていない自分にがっかりして人を羨ましく思ってしまう(裏では努力していると知っているはずなのに)。


コーチングの仕事を始める前、この先組織に依存する形でない働き方をしたいなとぼんやり描いていた。ただ、どうやって何をしたらいいか決まっていなかったのでいろいろ首を突っ込んでみたけれど、どれもしっくりこない。そんなときに、ライフミッションが見つかって(元々あって)進んでいる人の話を聞くとちょっと落ち込んだ。

2.今は優先順位が低いと決めたこと
やりたいことが複数あり優先順位を鑑みたときに今ではないという結論に至ったものがある。他の人たちが進んでいる様子を見ると、今じゃないとわかっているけど…ともやもやする。


大学生の時、理系の大学院に進むに当たって研究を優先し、1年休学して留学するのではなく、短期インターンという形で留学を決めた。はずなのに、留学して世界が広がっている人を見ると、今じゃないと自分では納得しているのに、妙に焦りが出てきた。

3.過去の自分が捨てた選択肢の延長で、知り合いにいいことが起こっている時
過去の自分が納得してキャリアチェンジしたり、新たな取り組みを始めたことについて、過去の自分の延長線上でいいことが起きていることを目にすると、そんな未来もあったのだろうか、と自分に重ね合わせてしまう。


前の会社の人(全然違う部署で接点はなかった)が、駐在になり、家も携帯も車も全部会社持ちで生活できていると聞いたり、また他の人は産休を3年取得して復職したりを知る。今はないものが、過去の延長線上にあったのかということを考えると、うらやましいよ!と言ってしまった。


どれも自分自身の進め方や決断が変わるほどのインパクトはないのだけれど、他人の今あるもの/今いる状況が「自分基準の優劣の”優”」であるときに起こっていることがわかる。

過去でもなく未来でもなく、今いいな、うらやましいなと思うのだ。その比べた先の他人がどんな過去を歩み、どんな未来を歩んでいくにしても関係ない。


ここまではわかった。じゃあどう比較と付き合っていくのか、は次の問い。



どっちがいい悪いもないのにね。


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