今日の私は、家族をチャイでたとえる
11,492日目
家族について。
私にとって「家族」は、思い入れの強いもの。そして、最も距離が近くてコミュニケーションが難しいものだと感じている。
ここからは私のファンタジーが全開。
飲みもの比喩が好きな私が思うに、家族は「器に入ったチャイ」なのだ。あのスパイスの入ったミルクティ。
家族という器(枠組み)の中に、個というスパイスが入って味を出しているもの。
個というスパイスが材料である故に、一つとして同じ味を出す家族はいない。
さらに、気分や忙しさによって、スパイスが発揮するフレーバーも変わってしまうから、日々、時々刻々、味が変化するチャイなのだ。
たとえば、仕事を終えて家に帰って疲れ切っていたら、酸味が強くなるような…のんびりしている週末は、煮出したが故の甘みや苦みも強くなるだろう。
前提として、お互いが家族であるという同意がされていることは重要なことである。これはスパイスを混ぜる前のミルクティ部分になる。
法律や仕組み上、家族という器があったとしても、同意のベースがあってこそ、共同作業でチャイをつくる味わいが生まれてくるのだ。
親しき中にも礼儀あり、ということを家族では忘れがち。
これは、ベースの存在を忘れ、自分のスパイスを思うがままにフレーバーとして出している状態。他のスパイスのフレーバーを消してしまったり、もしくはスパイスがケンカしてしまったりして、チャイとしての完成度が低くなるのはそのためだろう。
それぞれのスパイスを尊重する余裕や感謝があってこそ、全体としてよい味わいのチャイになる。
時々、助け合ったり協力したりしなくてはいけない、正直一人では起きえなかった面倒なことはあるけれど、一人ではできないフレーバーを出せるところや想像もしていなかったシナジーが生まれるのが家族の良さなのだろう。
満足できる味のチャイをつくりたい。
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