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「ある高校生の思い出 ~ 懐かしのレッスン風景」

 長野県でピアノや音楽理論を教えていた頃、佐久市の教室に、ちょっと面白い高校生が習いに来ていた。当時2年か3年の背の高い男の子で、その辺りでは最も優秀な進学校に通っていた。
 準備された練習曲ではなく、自分の弾きたい曲を弾きたいと言い、坂本龍一の“Amore”やら、サイモン&ガーファンクルの“明日に架ける橋”やら、毎回面白い選曲で、こちらもそれなりに楽しめた。
 毎週1枚ずつ自分が中高生の頃愛聴していたLPの復刻CDを貸すと、いつもそれに感想文を書いて返してくれるのも面白かった。

 そんな中に“Led Zeppelin Ⅱ”もあったのだが、その感想は、
 「これはハード・ロックに聞こえないです。ビートルズと同じように聞こえました」
 というもので、これにはえらく驚いた。
 僕が中学の頃、このバンドを初めて聴いたときは、そのへヴィーなサウンドにえらく感動し、それ以前の音楽と時代を画する斬新な音楽に聴こえたものだ。当時の10代前半の体験と、その後、時が流れ、さらにテクニックもパワーも録音技術も向上した時代のへヴィ・メタルを体験した耳で聞いた10代の体験とは、やはり時間的な隔たりだけでなく、感覚的な隔たりも大きいのだということを思い知らされた瞬間だった。

 中学時代に出会い、音楽にのめり込む最初の切っかけとなったのが、このバンドのセカンド・アルバムだった。ジミー・ペイジのエッジの効いた情感あふれるギター・プレイ、ロバート・プラントの迫力あるハイトーン・ヴォイス、その容姿も含めてロック・ミュージシャンの理想形のように思えた。胸をときめかせてニュー・アルバムを待っていたあの頃が懐かしい。
 その後、音楽の好みも変化し、ロックだけでなくいろんなジャンルの音楽を聴くようになったが、今でも、ファースト・アルバムの1曲目を聴いた途端に、あの頃のトキメキが懐かしく思い出される。
 ツェッペリンのアルバムも、4枚目あたりになると、ちょっと思い入れという点でクール・ダウンしてしまう。さらにそれ以降になると、正直言ってほとんど心の琴線に触れない。その後、自分の音楽志向が、プログレッシヴ・ロック経由で、ドビュッシー以降のクラシック音楽に向かってしまい、そのまんま音大なんぞに進学し、次第にロックから遠ざかってしまったこともあるが、ツェッペリンの方でもサウンドが変化してしまった。
 ミュージシャンもいつまでも同じ所にとどまっているわけにもいかず、長期に亙ってこちらの個人的嗜好にヒットするということは難しい。ツェッペリンに心酔しているファンの方から見ると、かなり中途半端なスタンスではある。

 その次に貸したEL&Pのファーストは、えらく気に入っていた。彼が聴いていたヘヴィ・メタルとは根本的に違う個性が新鮮で、音楽的にも高度に聴こえたようだ。10代の頃、キーボード主体のバンドでEL&Pのコピー曲なんぞも弾いていた自分にとって、その点で実に好ましい子だった(笑)

 こちらから貸しただけではなく、へヴィー・メタルのCDを貸してくれたこともあったが、最初はどうもピンとこなかった。それでも若い感性に挑戦してみようという気持ちがムラムラと沸き起こってきて、イングヴェイ・マルムスティーンや、ポール・ギルバート、スティーヴ・バイなどのギタリスト、ジューダス・プリースト、メタリカなどを、半年ぐらい買い漁り、それなりにけっこう楽しんで聴くようになった。
 まあ、そのマイ・ブームはそう長くは続かなかったが、今でもコレクションの一部に、当時の痕跡を留めていて、たまにレーサーXなどを引っ張り出してきて聴くことがある。

 あの高校生、今何歳ぐらいになったかな? と、計算してみると・・・、40代半ば過ぎ。どんな大人になってるんだろう? もしも会えたとしたら、話の尽きない楽しい時間を過ごせるんだろうなぁ・・・。

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