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「妹のことを話してみたい」(その3)~ 高校時代


 昭和51年の春、貴美子は鹿児島市立城西中学校を卒業し、私立の鹿児島純心女子学園に進学している。

 キャソリック系の規律の厳しい高校のはずだが、男子生徒のいない空間で、なんとものびやかで個性的な女子高生として過ごしたようだ。

 クラスメイト達の人気者だっただけでなく、先生方にも可愛がられ、幸せな3年間だったと本人が述懐している。校則違反などもけっこうやっていたみたいなのだが、それらが先生の目に触れなかったのは、あくまでも想像の範囲内のことではあるが、本人に悪いことをしているという罪悪感が無く、行動や態度に影が見えなかったからではないかと思う。彼女の意識の中では、校則違反をして粋がってやろうなどというつもりなど毛頭なく、本人の行動規範に従っていただけなのだろう。

 私自身は、貴美子が高校に入学する前の年に故郷鹿児島を離れているので、その姿を実際には全くと言ってよいほど見ていない。制服姿を思い出そうとしても、記憶の中から全く引き出せないのだ。
 そんな有様なので、今少し書いたように、本人の言葉をもとに、本人の性格を考え、推し量って書いているわけで、どこまで想像と実際が一致しているかまでは確かめようがない。
 3年年上の長女優子もちょうど入れ替わりで同じ高校を出ている。貴美子が語ったところによると、優子の方は勉学に励み、卒業時には成績優秀で学校から表彰されたらしいが、次女貴美子の方は学業にはどちらかというと無頓着で、その点ではごく平均的な生徒だったようだ。
 もし彼女が成績優秀だったら、今頃こんな文章など書いていないかもしれない。書こうとしても、履歴書的な箇条書きで終わってしまうのではないか。貴美子には、自慢というのとはちょっと違った意味で、どうも人に話したくなってしまうようなエピソードがいくつもある。

 高校卒業後、貴美子は大阪芸大舞台芸術科に進学しているので、普通に考えて、高校でも演劇部に所属していたのではないかと思われるが、部活での活動内容は全く聞いていない。それとは別に、役者としての才能を感じさせてくれるエピソードについて話してくれたことがあるが、それは、学校の授業や部活といった枠から全く外れている。

 ただし、これについては、中には顔をしかめる向きもあろうかと思う。かなり大胆ないたずらであり、推奨などできる行いではない。願わくば、今から40年以上も前、昭和ののどかな一地方都市で行われた罪なきできごととして、笑い飛ばしていただければ幸いである。

 たぶん、妹の発案により、クラス全員と共謀して行われたイベントだったと思うのだが、どのような流れでそんなことを実行しようという話になったのかは、全く分からない。後年貴美子本人から聞いた話だけが全てであり、私の記憶から引き出せることは、その前後の時の流れから完全に切り取られている。

 場所は純心女子学園の一教室。ある日ある時ある授業の直前、妹は私服に着替え、そのまま授業開始時刻を迎える。
 本来ならば社会科の授業が行われる時間だったとすると、全員示し合わせて違う教科の教科書を開く。そして、授業を模した演劇が開始される。
 教壇に立つ教師役の妹が誰かを指名すると、指された生徒は教科書を持って朗読を始める。
 おおよその脚本が出来ていたのか、それとも完全な即興だったのかはわからない。
 やがて本物の先生が教室に向かって歩いてくる姿が妹の目にも確認できた。高齢の男性教師は、授業の様子を少しの間覗き込んでいたが、首を傾げたあと頭を掻きながら引き返して行った。

 目論見は成功裏に終わった。

 教師が遠ざかるまでの間、皆息を押し殺していたが、やがて全員大喜びで歓声をあげた。

 ただし、そのままひと授業を潰してしまうようなことはしなかった。皆、心のどこかに少しばかりの良心は宿していたようで、妹が大急ぎで制服に着替えた後、頃合いを見計らって、クラス委員と妹の二人で職員室に向かった。

「先生がなかなかいらっしゃらないので、どうしたのかと思ってお迎えに来ました」
「ん? この時間授業だったかね? うっかりしていたよ」

 二人は、内心可笑しくてしょうがなかったが、表には出さずに、すまし顔で押し通した。

「先に教室に戻って待ってます」

 いやはやなんとも、学校にいったい何しに行っているんだか、呆れ返ってしまうエピソードではあるが、クラス全員が一つにまとまった良い状態だったことだけは確かなようだ。

 授業をしていた妹の姿は、男性教師の目に、一人の教師として映った。頭のてっぺんから爪先まで、成人女性に成りきっていたのだ。その演技力も大したものだと思うが、服装にしても大人に見えるよう抜かりなく周到に準備されていたということ。一女子高生の自前の服ではなかったと思われる。教員だった母の服を拝借して持ってきたのか、演劇部で使用していたものなのか、その辺りの事情は分からない。

 ここで一つ断っておかなければならないことがある。純心女子学園の長い歴史の中でも、妹のような生徒は、たぶんあとにも先にも皆無であり、今後も現れないだろうと思われる。
 読んでいただいた方にとって、この一件によって学園のイメージが決定づけられることのないようにと願っている。
 ただ、こういった悪戯が成立したということは、妹がクラス全員の心を一つにまとめ、信頼関係を成立せしめるだけの何らかの魅力を備えていたということではないかとも思う。

 また、同じころ、貴美子は鹿児島のローカルラジオMBCの某番組でDJの準レギュラーとして採用され、「姫」という芸名で有馬さんという男性と組み、「姫と有馬のヒマコンビ」としてちょっとした人気を博していた。妹は、その番組を、今は懐かしきカセット・テープにダビングして、東京にいた僕に郵送してくれていた。
 ギターを爪弾きながらの弾き語りも、その頃から行っていたようだ。

 私が19歳で故郷を離れて1年目の夏、帰省した折りに、中学3年生だった妹の部屋の南側の壁に、大きな紙が貼られていて、一編の詩が手書きされているのが目を引いた。
 その中で、特にこの部分に心が動いた。

 ― ぼくは ぼくの事しか見えなかった
   君が泣いてるなんて 知らなかった

 それまで子供だとばかり思っていた妹。その多感な青春期の内面が見えたようで、ちょっとドキッとした。

 それから数年後、妹が大阪芸大舞台芸術科の学生だったころ、友達とシェアしていたマンションを訪ねたとき、その壁に貼られた詩のことを話してみると、それがフォークシンガーのイルカの歌だということを教えてくれた。
 その後、ギターをつま弾きながら歌ってくれた妹の歌声に、思わず聞き入ってしまった。説得力のある少しハスキーな声と、ピッキングのリズムの良さが今でも耳に残っている。
 その時、高校時代の音楽活動についても話してくれたのかも知れないが、歌声ばかりが強い印象を残し、それ以外のことが記憶に留まっていない。


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