「妹のことを話してみたい」(その1)~ 誕生
自慢の妹だった。
歳の差5歳。
長男の自分、すぐ下の長女、そしてその下の末っ子。
涙袋に泣きぼくろ。ロングヘア―と笑顔が似合う愛嬌のある顔立ち。
人懐っこくて、歌がうまくて、人気者だった。
末っ子貴美子。
彼女について少しずつ、話してみたい。
よろしかったら、お付き合いくださいませ。
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昭和35年初夏。
当時の住まいは鹿児島市常盤町にあった。
父36歳、母が28歳。4歳の自分と3歳の長女、そして高校生だった叔母の5人で暮らしていた。
木造の古い日本家屋。
4畳半、6畳の二間が東西に並び、6畳間の北側に3畳間、さらにその西側に台所があった。
3畳間には天井が無く、屋根裏と梁がむき出しになっていた。6畳と4畳半の照明は細長い蛍光灯だったが、3畳間だけは裸電球がぶら下がっており、他の二間に比べて、子供心になんとなく侘しさを感じる空間だった。
その時、4歳の私と2歳半の妹優子が肩を並べ、叔母順子と向き合って何気ない言葉を交わしていた。
「お母さんはいつ退院できるの?」
叔母に問うと、こんな言葉が返って来た。
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだよ」
その言葉を聞いて、妹と二人驚いて顔を見合わせた。
入院しているのは病気だからだと思い込んでいたから。
これが妹・貴美子との最初の出会いだった。
以後、兄妹の会話は、ただ一つに絞られた。
生まれてくる赤ちゃんは男だろうか、それとも女だろうか・・・。
兄妹間で同じ会話が何度となく交わされた。
長男は女の赤ちゃんを望み、長女は弟を欲しがった。
そして・・・
待ち望んでいた赤ちゃんが我が家にやってきた。
生まれたばかりのプリンセスは、家族みんなの心を独り占めにした。
「いないいないばあっ!」
みんな寄ってたかってあやした。
常に家族の真ん中に、その笑顔があった。
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当時の日本は、高度経済成長期前夜。
その家に引っ越してきたときにはテレビも洗濯機も冷蔵庫もガスコンロもまだなかった。
貴美子が生まれたのと前後して、それらの家電類が次々と揃っていった。 そういった、次第に明るい未来へ向かっている期待感の中で誕生した末っ子。
幼き日の僕の目に、新しい時代の象徴のように輝いて見えていた。