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私の半生と気づき〜器用貧乏は才能〜

みなさんこんにちは。meadowです。

ひとつの肩書におさまることが出来ず、自由を愛した私自身のこれまでの人生と気づきを少し、お話したいと思います。

アパレルへの道

高校時代、地元の古着屋の店頭に置かれていたファッションデザイン専門学校のカタログに衝撃を受け、進学をやめて親の反対を押し切りアパレルの道に進むことを決意。
卒業後大阪にある専門学校に入学。
三年間通って卒業を迎えましたが就職氷河期でもあったため求人も少なく、行きたい会社もなかったので卒業後は三か月程ニート生活。

だんだん遊んでくれる友達も少なくなり「誰もあんたみたいに暇ちゃうねん!」と言われ、さすがになにか仕事をしないと!と思い立ち見つけたのがウエディングドレスのデザイナーアシスタントというお仕事。
ここを選んだ理由は家の近所だったこととメーカー勤務だったこと。
ここでは主にパターンカットや裁断を任され、専門学校では学ばないウェディングドレスの中身の構造や素材を知ることができました。

でもドレスをやりたいわけではなかったので三か月ほどで退職。

その次に始めたのはアパレルSHOP店員のお仕事。
この店はベタ付き接客が方針だったので、とにかく今初めて会った人に声をかける!というそれまでの人生でやったことのないことをして服を売らなければなりませんでした。(この頃は絶賛人見知りさんでした)

この会社で初めての正社員となり、店長まで任されましたがやっぱり販売がしたいわけではなかったので一年半ほどで退職。
ですがここでは人見知りを克服したし、ものを売るというスキルや後輩を指導するという経験を積むことができました。

その後3~4年ほどアパレルのお仕事からは離れていましたが、その間にファッションショーを企画したり友達とオリジナルのTシャツブランドを立ち上げイベントで売ったり。
三部作と称して開催したイベントの最後、3回目ではウェディングドレスショーをやったり。
ちょうど結婚するお友達のドレスも作ることになり、ステージに上がってもらったりして大いに盛り上がりました。

そうなんです。
まさかのあの、たった三か月の経験がここで生きてきたのです(笑)
その経験がなければウェディングショーなんて思いつきもしなかったでしょう。

ウェディングドレスが繋ぐ縁

そしてさすがにそろそろアパレルに戻ろうかと思い始めたのですがまともなキャリアがない。その頃すでに20代なかば。を少し過ぎたころ。
たまたま見つけた求人がキャリア不要で大量募集をしていたメーカーさん。

とりあえず集団面接を突破し、迎えた二次面接がなぜかいきなりの社長面談。
「縫えるんだったら自分で作って納品してみたら?」
と、まさかのびっくり提案。
さらにその時たまたま一緒に面接を受けていたもう一人の方が、私が持って行っていた作品の写真(友達用に作ったウェディングドレス)を見てうちに来ない?と言ってきたのです。
実はその人、アパレルの企画会社を経営していて営業目的で面接に来られていた方だったんです。

面接に行った先で別の会社に勧誘されるという驚きの出来事が起こりかなりびっくりしましたが、面接している方の社長さんもいいやんいいやんて(笑)
結局両方の会社さんとお仕事をさせてもらうことになったのですが、何のキャリアもなかった私が突然二つの会社さんと契約をすることになるなんて。。。
しかも流れで自分のブランドを持つことになるとは!
そしてそのブランドはあの、心斎橋OPAや当時のNAVIOの店頭に並ぶこととなったのです。

そう、あのウェディングドレスの経験がここまで連れてきてくれたんです。
近所だったから。とりあえずなんか働かないと。
そんな理由でやったことがその後の人生に大いに役立ってくれました。
のちに自身の結婚の際にももちろん、ドレスは自作しました。

自由か安定か

ブランドはしばらくやっていたのですが少し条件や担当が変わってやりにくくなり、徐々にお付き合いがなくなり終了。
もう一つの、企画会社でのお仕事は続いていました。
小さな会社だったので企画営業やデザイン、パターン、資材発注や工場とのやり取り、コスト計算や生産管理まで担当のブランドに関わる全ての業務を任され、アパレル人としてのキャリアを積むことができました。
さらに業界でもできる人が少ないニット製品に関してもこの会社で学べたり、当時神戸で有名だったブランドさんとのお取引もあったりととてもやりがいを感じていました。

ですが不況のあおりを受け会社は解散の危機に。
この頃30代前半だったわたしは就職するか、独立するかの岐路に立たされました。なぜなら週5日働きたくなかったからです(笑)
そもそも先述した企画会社だって週4日出勤でした。
さらにその出勤日は決められておらず、自分の予定に合わせて好きに調整して良し、二週間休んで海外に行くのもOK!という感じでした。

そういった生活を長らく続けていたので、毎日同じ場所で同じことをするとか週末しか休みが無いとか世間の当たり前のような生き方は何か違うと感じていました。
お金には苦労してきましたが、それよりも自由と柔軟性を求めていたのです。何かいい話が来た時にいつでも動ける、やりたい事が見つかったらいつでも始められる、そんな自由度の高さです。

結局取引先であるニットの糸屋さんから外注のニットデザイナーを探している人がいるというご紹介のお話を頂き、とても自然な形で独立する流れとなりました。
基本出勤はなかったので自宅で仕事をし、打ち合わせの際に月に一、二度出社するくらいでした。その会社以外にも外注パターンや縫製のお仕事、友達のイタリアンのお店に誘われ飲食のバイトをしたり。
外注デザイナーのお仕事以外は不安定なものだったので、とにかく来るもの拒まずの精神でやってきました。

可能性が広がるとき

ある時そのイタリアンのお店のカウンターチェアが汚れていて、張り替えれる?と聞かれました。
もちろんやったことはなかったのですが、やってみたら案外できた(笑)
その後も美容師の友達が居抜きで店を借りるのでカットチェアをすべて張り替えてほしいと言ってきたり、店内の仕切りやカーテンを作ってほしいと言ってきたり。
この時に私の肩書にはインテリアファブリックデザイナーも追加されたのです。

つい二年前のマスク不足が騒がれた時にも友達に「マスクを作るべし」と言われ作りはじめ、せっかくなのでCreemaにでも出品するかと二度目のブランドを立ち上げることとなりました。
(このブランドはnoteのストアでもご覧になれます。)
この時作ったあるマスクは特集に掲載されることとなり累計300~400枚売れるほどのヒット商品になりました。
全て一人で作って出荷作業までやっていたので作れる枚数に限界があったのですが、それでもそれだけの数を世に送り出すことができました。

このようにして、(一度目のブランド設立も含め)人は時に他人から目標を手渡されるときがあります。

自分の目標だけを見据えてひたむきに突き進むのもいいのかもしれませんが、それだけでは世界が狭いと私は思っています。
自ら世界を広げようと思ってもエゴが入ってしまったりと限界があります。
もし、みなさんの所にも思いがけないお願い事やミッションがやってきたら。自分の可能性を広げるチャンスだと思って受け取ってみてはいかがでしょうか?それが後々思わぬところで役に立ったり、日の目を浴びることになったりする時がやってきます。

ちなみに今はアパレルと別でタロットリーダーとしてYOU TUBEをやっています。
これは他人から与えられたミッションではありませんが、感覚で受け取ったものだと思っています。
これもいつか、何かの役に立つときが来るのだと思います。

人生無駄なことは何もない、とよく言いますがまさにその通りで今無駄だと思っている経験や知識は今後の人生においていつか、何かの役に立ちそのフラグは回収されることとなるでしょう。

器用貧乏は才能

これまでにお話してきたのは主にお仕事についてでしたが根本的にわたしは色んな分野においてやりたいことが多すぎです。
やりたいことが見つかったら(それが例え遊びや趣味のことでも)すぐにこれ、仕事にならないかな?と直結させてしまいます。
とにかく遊びと仕事の境界線が緩いんです。

商売をやる上でも何かに特化した方が良い、というような定説がありますがそれが出来れば苦労はない、というくらい絞れないのです。
まさに器用貧乏。
それについて悩んだりしたこともありましたが、そもそも何か一つに絞ることが私の望む自由度を下げ可能性を狭め、人生を面白くないものにしてしまうのではないか、という事に気づいたのです。

器用貧乏とはよくネガティブな意味合いとして使われますが、私はそれを個性であり才能だと思うようにしました。

なので二度目のブランドは洋服に限らずジャンルにとらわれず、いろんなものを雑多に扱うセレクトショップというコンセプトにしました。
そうしたことで一気に私の悩みは晴れました。
その時の私の中の旬をお届けする鮮度の高いSHOP。
見に来た人がこの店は何屋なんだろうと困惑するかもしれませんが、そこに私のスキが詰まっている、今はそれでいいと思っています。

余談ですが、Appleの創業者スティーブジョブズは大学時代にカリグラフィに魅了されましたが、それが人生の役に立つという期待はなかったそうです。ですがその後のMacの設計にあたりその知識が役立ったと話しています。
それが「点と点を結ぶ」ということです。いつかその点が繋がることを信じれば、自信をもって思うままに生きることができるとジョブズは言っています。

私たちが過去に作ってきた点も、いつか何かの役に立った時初めて「あーこのためにあれがあったのかー」と繋がって、未来から見ると納得できたりするのです。
一見寄り道にもみえるような事がその後の人生に大いに役立ったりすることもありますが、今現状の私たちにはわからないものなのです。

わたしを含めた器用貧乏な人は、これまで色んな事に興味を持ちいろんな経験をされてきて、たくさんの点を過去に作ってきた人だと思います。
すると点が多い方が色々繋がりやすいのでは?と思うわけです。
なのでわたしはこれを才能と思うようにしたのです。

あとがき

このように私は好奇心旺盛でとにかく興味のあるものには首を突っ込む、知らない事にいつも手招きされている状態です(笑)
まだまだ知らない未知の世界を見ること、それが楽しみで仕方ありません。
何か面白いお話あったら教えてください(笑)

今回は私の半生についてお話させていただきました。
まだまだ話したりないのですが、また長くなってしまったのでこの辺にしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また、次のページでお会いしましょう~☺︎

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