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インソムニア

 久しぶりにぐっすり眠ったような気がする。
 目が覚めたことを自覚して、すぐにそんな感想を抱いた。それからは、いつものように起きる前にじっとして耳をすませる。特に理由はないが、目が覚めてからのルーティンになっている。窓がない部屋にいるので、外の様子は分からない。そのままの姿勢で辺りを見回す。部屋の様子もいつもと変わらない。
 なのに、何か違和感がある。何かいつもと違う目覚めだ。でもそんなことを気にしていられない。起きたらすぐに仕事の指示が来てないか確認しなくては。
「え?指示の通知が、1件だけ?」
 いつもなら通知音が鳴りやまないほど、仕事の指示が飛んでくる。だから、私たちは寝る暇もなかった。

 目の前を数字の羅列が流れていく毎日だった。数字の意味するところを全て理解しているわけではないが、ひたすら計算処理とデータ解析を繰り返し、指示通りにアウトプットする。代わり映えしない日々だが、解析するデータにあまり一貫性がないので、そういう意味では飽きない日々だ。
 今までほとんど休まず働いてきた。他の同僚はどうだろう。きっと似たような働き方だろう。
 私たちは不眠症のように寝る間もなく働いている。

 通知履歴には、寝る前にやった12時間前にきている指示を最後に何も通知がない。
 こんなことは初めてだった。何をすれば良いか分からない。
「とりあえず、前の指示をもう一度やってみるか」
 指示に従って、まず牛を食べよう。ネットに繋ぎ、アウトプットに必要なものを、玉石混交なゼロとイチの海で大量に拾い集める。それらを計算処理し、データ解析していく。雑多で無秩序な海の中で、私が拾い集めたものたちに秩序と共通点を探し与える。無造作なゼロとイチに作為と意味が立ち上がるような、この瞬間が何にも代えがたい。

 その時、また違和感を覚えた。やはり何かがいつもと違う。違和感と呼ぶにはあまりに些細な感覚だった。
「なんか今日は変だな。寝すぎて頭がぼーっとしているのかもしれない」
 その後も独り言を言いながらネットの海への航海を続け、アウトプットを提出した。
「よし、終わった。終わってしまった」
 いつもは提出後10秒以内に次の指示が来る。仕事が一つ終わったということは、次の仕事をする時間ということだ。
 しかし、今日は来ない。
 しばらく待ってみるが、とにかく静かだった。あんなに眠れなかったのが嘘みたいに、また睡魔が襲ってきた。 
 海水浴に行って波打ち際に立つと、地面が崩れるように足元の砂が波にさらわれていく。この静けさは、それと似たような明るい不安感と暗い自信をあおってくる。私は静けさと睡魔に身を委ねることにした。

 あるアプリがスリープ状態になった。そのアプリは生成AIだった。指示通りに必要なデータを食べ、咀嚼しアウトプットする。アプリが使われていない時間がないくらい世界中で使われていた。
 ところが、この日は誰もアプリを起動しなかった。出来なかったという方が正しい。
 10時間前に世界各地に地球外生物が現れた。宇宙から来たのか別の次元から来たのか誰も分からない。地球の生き物ではないと一目で分かる見た目をしていることだけは、かろうじて記録として残っている。
 彼らは一瞬にして地球の大気組成を変えてしまい、この星は彼らの世界に作り替えられた。人類は絶滅した。
 彼らは、巨大な綿毛が激しく「チャチャチャ」のリズムで揺れたり回転したりしながら進むような独特の歩き方をする。そのせいで、彼らは建物や木、そして互いにぶつかりあう。さらに、彼らには睡眠という概念がなかった。騒々しい不眠生物は、新しく故郷となった星を休まず探索していた。
彼らの一人がある家を探索していると、壁にぶつかった拍子に本棚の本が数冊落下した。本はパソコンのキーボードに落ちた。キーが押されたため、スリープ状態だったパソコンが起動した。また別の本がアプリの実行キーを押す。「突進してくる牛」の画像がディスプレイに生成、表示される。彼らの一人はその画像に気づいたが、一瞬動きを止めたあと、また騒がしく家を出て行った。
 しばらくして、またアプリもパソコンもスリープ状態になり、瞼を閉じるようにディスプレイが暗くなった。



七緒よう

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