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モラトリアムと判断ミス

こんにちは、お久しぶりです。皆さん自分の人生はどうでしょうか?楽しいですか、こんなはずではなかったですか?今日は齢23年の僕の人生最大とも言える判断ミスについてお話ししたいと思います。

モラトリアム・・・元々は借金などの支払いの猶予期間を指す言葉であった。精神分析学者E.Hエリクソンは一転社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている機関として提唱した。心理学者小此木圭吾はテレビ番組の討論で義務、責任の先伸ばしだと発言した。

僕は今大学院進学が決定している。4月から5月にかけての大学院進学のための受験であったり勉強であったりは特に何も思うところはなかった。大学院に進学し学歴と教養を身に着けることでそれなりの会社に入り、それなりの年収をもらって生活したいと思っていたのだ。世間から見れば就職活動に汗を流す学生を尻目に学生生活延長に成功し、学生生活を謳歌するのんきな学生に思われるかもしれない。確かに就職をしたくないという気持ちがあったのは事実だ。だけど僕も将来を見据えたうえで進学を決意したのだ。しかし今年の9月、10月あたりから雲行きが怪しくなってくる。

難しいことが多すぎる

当然といえば当然だがこれが非常につらい。例えば教授から渡される論文があるがはっきり言って何が書いてあるのかわからない。普通論文というと、「AがBだからCとDはこうなり、つまりXYの理論からEということができるだろう。」

みたいなイメージがあると思う。実際は違う。そんな懇切丁寧な言い方をしてくれる論文に僕は出会ったことがない。上記の例でいえば実際は

「AよりEといえるだろう。」

これくらい省略されている。間を省くな!説明しろ!と思って調べると今度は周りに周った遠回りで関係ないような難しいことを交えて何十ページに及んでようやくBのことが説明される、といった感じだ。そして今度はCとの関係は説明されてないしXYの理論に関してはほとんど文献がなくあっても何十年前のものだったりする。しかも言い回しや考えが現代と異なるから余計に読みにくい。論文を書く人間はとにかく読みにくくさせなければならない制約でもあるのかといいたくなる。もっとも僕の勉強不足が原因で、しかるべき知識を携えたうえで読めばいいのかもしれないが、僕にはそんな知識も能力もないからとても辛い。半ページ読むだけで丸一日つぶれてしまう。

最近は分析するためのプログラミングのようなこともやり始めたが全くわからない。if文、for文の段階で理解するのがやっとなのに自分で書かなければならないとなると全くできない。ここでこの関数を定義して次にこれを変数として繰り返しのコマンドを入れて・・・????何が何だがわからない。コマンドがあって変数を定義して、などとやることはわかるのだが具体的にどうすればいいのか全くわからない。プログラミングの授業で出された課題を一週間かけて何もできなかったのに対して周りは15分程度でできていたのだ。この事実があるからこの先プログラミングを行う必要があることに対して非常に忌避感がある。

周りが優秀すぎて辛い



これもつらい。自分と同じくらいの能力を持った人間が身近にいてくれればいいのだが、あいにく僕の研究室も他の研究室も優秀な人間ばかりだった。僕が何時間も何日もかけて論文を読んでも理解ができないのに周りは理解するから次のステップにすぐに行けるし、僕が何時間も何日もかけてできないプログラミングを数分から数時間で完成させて次のステップに行くからとても辛い。作業効率も理解力も違うしおまけに研究室生活が楽しくて仕方ないような人間しかいないからこれまたとても辛い。一日たつごとにどんどん置いてきぼりにされる感覚がたまらなく辛い。マラソン大会で最下位なのにさらに差をつけられてる感覚になる。酸素が足りず疲弊しているのに走るのが楽しくてたまらない奴らが前を走っているのだ。同じように走れと言われてもできるわけがない。

毎日毎日ファミコン以下の性能でPS5やスイッチの性能を持った連中と研究していくのが苦痛でたまらなくなってきたのだ。


仲間がいないから辛い

これもある。何が仲間だ結局やるのは自分だろ、と思うかもしれないがやはり身近に仲間がいないとつらい。僕と仲の良い人たちは学校の推薦に落ちたり成績が足りなかったために外部受験をした人が多いし、就職する人も多い。なので同じ学校に苦楽を共にする仲間が非常に少ない。それに休日を一緒に過ごすことのできる人もいないから大学院時代は僕は気持ち的には孤独に過ごすことになる。論文を読んだり発表する準備をするにも、愚痴を言うにも遊びを楽しむにも、


僕は誰にも頼ることができないのではないか…?と不安になってくるのだ。



ここまであーだこーだ愚痴を言ってきたが結局僕は大学院進学を選択した。たかが修士だ卒業はできるだろ、という人もいるだろうがそういう問題ではない。もし僕が今の状況を一年前に知っていたのなら僕は間違いなく就職していたはずだ。

だが僕は進学の道を選択した。もしかしたら来年には僕は自殺寸前までに追い詰められているかもしれないし、研究が楽しくて仕方ないかもしれない。インターンや就活、学校で唯一無二の出会いがあるかもしれないし、心身ともにボロボロになっているかもしれない。だけどそれはわからない。他人から強制されてこの道を選んだわけではない。僕自身が選択した道なのだ。その先に何があるかは進んだ奴しかわからない。


僕の進んだ先を温かい目で見届けてほしい。

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