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人生を変えてくれた二つのことば。


私の人生の羅針盤となってくれた言葉は、二つ。

【一歩踏み出してみる】


それは一通の緑色で簡素なチラシから始まった。
当時はまだ珍しかった「英会話教室」の文字。そして母の一言を今でも鮮明に覚えている。

「やってみたい?」

一緒の保育園に通っていた友達と一緒に体験レッスンの門をくぐった。レッスン当日、恐る恐る教室に向かい扉を開けると、キラキラしたお姉さんが素敵な笑顔で迎え入れてくれた。その教室はオープンしたばかりで、初めての外国語やゲームで胸がワクワクしたのを覚えている。私がそこに通わない理由は無かった。

入校してしばらくの間、生徒は私と友達の2人のみだった。教室長と日本人の先生、外国人の先生は皆いつも活気に溢れ、ウェルカムな雰囲気でとても居心地が良かった。

私が中学に上がる頃、両親の離婚に伴う引っ越しで家から教室から遠くなっても、母が送り迎えを続けてくれたおかげで、私の願いどおり通い続けることができた。そんなかたちで四歳から始めた英会話教室を中学二年生まで続け、高校受験のために辞めることになった。私が去る頃の英会話教室には、私の弟を含めた沢山の生徒たちで賑わっていた。


【さらに一歩】


中学に入り、初めて学校で英語を学ぶと、周りの子よりも理解ができていて鼻が高かった。しかし、高くなった鼻は初回のテストで99点を取ったことで、いとも簡単にへし折られてしまった。リスニングでMとNを聞き違え、難易度高めな1点を失ったことは今でも忘れない。

日差しが強くなり夏に差し掛かる頃、担任教師から英語のスピーチコンテストがあることを知らされた。当時の私は周りの空気を読んで上手く波に乗るのが好きで、人前に出ることを好まない子供だった。いつもなら人前に立つような目立ったイベントは、右から左へ受け流していた。その時はなぜか、英語のスピーチコンテストが頭から離れなかった。直ぐには決意表明ができず、一旦持ち帰ることにした。

決心ができない中、祖母の家に行くことになった。私にとって祖母は、やさしいエナジードリンクのような存在だった。一番の応援隊長でいてくれて、「頑張れ」と言わず、「頑張り過ぎだから休みなさい」と言ってくれる人だった。二人でお風呂に入っている時に、なんとなくスピーチコンテストのことを口にした。気になるけど出場する勇気が出ない、その話をすることすら恥ずかしいといった気持ちが溢れて、つい口から出てしまった感じがした。そんな私に祖母がくれた言葉。

「駄目で元々。」

結果よりも挑戦することに意味があり、やらないよりやることが大切だと背中を押してくれた。当日祖母もスピーチコンテストに足を運んでくれて、客席から壇上の私に大好きな温かい笑顔を注いでくれていた。


【もう一歩いける?】


中学入学以降の私は、残念なことに特段英語が得意ではなかったが、英語が「好き」だった。一つ新しい言語を学ぶと、その背景にある沢山の新しいことを知ることができるのがとても楽しかった。

大学進学の目標は留学に行くことだった。そのために、休学しても授業料の発生しない公立に進みたかった。けれども、帰りの車で号泣したほどの散々なセンター試験の結果により、同じ大学の第一志望の英語学科から第二志望のフランス語学科に変更して受験することに決めた。晴れて二次試験で挽回し、志望大学に合格することができた。

母子家庭だったため、留学費用はすべて自分で捻出するために「社畜」と友人から呼ばれる程アルバイトに奮闘し、ワーキングホリデーという形で留学を実現させた。専攻学科がフランス語学科でありながら、英語も学びたいという欲張りな私の希望を叶える場所が、カナダのケベック州モントリオールだった。そこは、お店に入ると"Bonjour, hi!"と二言語で迎えられ、あちこちでフランス語と英語が飛び交うようなバイリンガルの街だった。そんなマルチカルチャーなカナダでは、それまで引っ込み思案だった私の「個性」を温かく大きく包みこんでくれた。そのおかげで、「自分らしく、自分を表現する」ということに対しての抵抗が無くなり、楽しめるようにまでなった。その自信のおかげで、留学から帰国した後に大学で「語学教育」について学び、教員免許を取って卒業することができた。

就職は、新卒で華の海外駐在を夢見て商社の営業職に就いたものの、やはり「語学」への情熱が冷めやまず、二年目にして転職に踏み切った。そして今は、インターナショナルスクールで講師として働いている。

でもここはゴールではない。

講師をしている中で、私が英語を教える目的は「英語が得意になってもらうこと」ではなく、「英語が好きになってもらうこと」だと気づいた。私自身、英語が好きだからこそ続けたいと決意することができた。私が身を持って知った「好きであることは、得意であることに勝るとも劣らない」ということは、英語だけでなく全てのことに通じると信じている。

好きだからこそ、挑戦したくなる。

これは、私を支えてくれた人たちや、成功も失敗も含めて経験したこと全てのお陰で知ることができた。だから今度は、私がそれを伝えられる側に立ちたいと思っている。

「やってみたい?」と自問して、
「駄目で元元。」と自分を鼓舞する。


私がこのnoteを執筆していることも、そのようにして出した私の決断。この二つの言葉のおかげで、私はいつでも踏み出したい一歩を踏み出すことができる。

はじめの一歩となる機会をくれた母に感謝の意と
一生のエールをくれた亡き祖母に愛を込めて。

2023.09.09




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