なりたいのは〈軽妙洒脱〉じゃなかったと、気づいてしまった夏の夕暮れ
『xxxHOLiC』は未読だけれど同作者の『CCさくら』TVアニメが終了してしまって悲しい昨今です。そして世界線といえば『シュタインズゲート』が久しぶりに放映してるね。
物語に浸ったり日々選択を繰り返していると、現時点での自分じゃなかった “なっていたかもしれない無数の自分” を突如考えたりする?わたしは、粒子と粒子のぶつかる確率で成り立つ不安定な「いま」のことまで想っちゃう。“なれなかった無数の自分” を捨ててまで「いま」を最大限生きてあげられてるのかな、と。
さて、エモーショナルな切り出しになりましたが悪しからず。
わたしたちの日記がまた一巡したあいだに、季節は一つ動いたね。東京は梅雨へ入ったように、倫敦は早くも夏の折り返しをしました。折り返したことを気づかせないスピードで短くなる日没、金曜日の倫敦の空は21:17を指す時計の向こうで青磁色に染まったままだけれども。
走って、走って、そして走る(それに伴う色気の話)
碧さんの文章は、ビターで興奮をくすぐるような、それでいて湯気のようなあわさがあってまるで香り立つ、中毒性が高いものだというのは触れた方はご存知かと思う。その碧さんがロンドナーになりつつある様子をInstagramで伺っているに最近、香りが際立ってきた気がするのです。(出典)
若葉ちゃんありがとう。
嬉しいような、嬉しいのに裸にされて手放しに悦ぶわけにもいかない、そんな気持ちです。できればそのくすぐったさには慣れないままでいたい。
二人からの「色気」という指摘はありがたくアクセプトしたいです。というのも、心当たりがあるのですから。
変わったのは文章だけではなかったという自覚とともに。
加えて、それら凡てにおいて変えることを望んだのはわたしだったし、凡ては誰かがいて初めて成り立つものだった。
わかり易いものを挙げただけでもこの一ヶ月、仕事を始めて、日常を手に入れて、引越しをして、彼との関係を見つめ直して、サングラスを新調して、初めて洋服と靴と鞄を買い、髪を20センチ切りました。
だから、思うわけです。
走って走って走る日常が文章に反映され血なり肉となって、例えば遠い東京にいる二人に気づいてもらえるとするのなら、わたしは擦りむいて擦り傷だらけになっても懲りずに走りたいんじゃないかと。
不思議だよね、嬉しくて笑っちゃう。東京にいるときにそんな風に想うなんて想像もしてなかったのよ本当に。
ところで「色気」を指摘されて気づいたことが、ありました
わたし、ずっと色気は余裕に絡み合ったものだと思ってたの。余裕があることこそ色気の真髄!と信じて疑ってなかったよ。軽妙洒脱のワードに傾倒した発端も、もしかしたらそうだったのかもしれない。
なのにいま思うのは、色気の根幹にみえてしまった責任と秘め事。文字通り、それ以上でも以下でもなく。
だから、気づくわけです。
いまのわたしが求めるのは軽妙洒脱ではなかったのかもしれないと。(余裕がないというのは本末転倒だけれどね)
こんなことって東京で決して思わなかった。この変化すら、きっと序章に過ぎないのだろうけれど。
ビザは12.5%を経過して、残るは87.5%。それがなにを意味するかというと、わたしはその分だけ(もしかしたらそれ以上に)人生を作る「責任」があって、その過程において「秘め事」を抱えるだろうということ。
「ところでじゃあ何になりたいの?」って夏の夕暮れ話は、昇華できたらまたの機会にね。
これまでのmatou日記
【其ノ3】「matou」と軽妙洒脱でいたい日常について(祝・マガジンタイトル決定)(2018/05/18)
【其ノ2】空は鼠色、恋は桃色。あるいは、じぶんの “好き” がだれかの「それ」だった場合(2018/04/29)
【其ノ1】「ひたすら柔らかく、時々ピリッとトゲもあることば」で、まずは倫敦余談便りを(2018/04/18)
エモーショナルな金曜日によせて
金曜日だから、もう少し。
倫敦にきて2ヶ月、涙が溢れることは少なくなりました。お母さんにも言わずにいたけれど、来たばかりのころは食事の度に泣いてたの。わかりやすい不安からか緊張からか、なぜか食事のときだけそうでした。
いつから笑って食べられるようになったかなんて覚えていなくて、いまはテキトーに生きる・甘えて生きる・真剣に生きる、その匙加減を自分でアジャストするようになりました。東京でのそれらと似ているところもあるけれど、ミソは “be nice” で乗り切るってところかな。
それでも世界が広くて空が広くて、先を歩く人に会うと、来たころとは違う理由で泣きたくなる日があったりする。為し得た人から「何者にもなれるよ」と言われることは、まだまだわたしが途方にくれるに足る言葉だったりするあまりに。
それでもこの日常を広げたいと思ってしまって、もっと広い空を知りたいと思うようになりました。やっぱり笑っちゃう。東京にいるときにこんな感情持ったことなかったのよ。どこに隠れてたんだろうか?
だから、笑っちゃうけど思うわけだ。
わたしたちはまだまだ何者にでも成れるだろうし、言葉はときに嘘を吐くけれど、人の歩いた轍は嘘じゃないはずって。
わたしは、東京では恥ずかしくて誰もが閉口するようなことを、日本の閉塞的な空気で埋めてしまうようなことを、遠い倫敦から二人にきちんと伝えなきゃって思ってる。
さーて、徹頭徹尾エモーショナルな金曜日。ヘッダーが切りたてセルフィーなのも、やっぱりたまには許してね(笑)
22/06/2018
鳩羽色に染まった金曜日のパディントンより
碧 拝
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?