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「matou」と軽妙洒脱でいたい日常について(祝・マガジンタイトル決定)

カツだって衣(ころも)をmatou(まとう)のです。

さ、二人の声を久しぶりに聴いた後にどういうか無性に日本食が食べたくなりました。ということで、食べたこともなかったカツカレーと言うものを注文してみました。(この書き出しは二人とグループ通話をしたその日に書いています)

二人と通話をしていた場所は、Covent Garden駅からほど近くのCOSTAというチェーンカフェ。どうやら近くに美味しい日本食料理屋さんがあると聞きつけ、20分ほど歩いて中華街の手前にある「Misato(みさと)」という名前の日本食料理屋さんへ行きました。そこまでの道のりはというと、10人いたら9人が想像するロンドン中心のいわば観光地で、晴れ渡った日差しのもと歩いて聞こえてくるのはブリティッシュ英語ではない言語だったりします。でもこれはロンドンの地下鉄に乗っていたら日常茶飯事だったりもするのです。

そんなわけで、わざわざ赴いた「MISATO」で少し緊張しながらカツカレーを注文しました。ものの5分でテーブルに運ばれてきた大皿には、たんまりと盛られたカレーライス、その上に乗せられたカツ(と、申し訳なさげに添えられたキャベツ)。お値段 £7、日本円にしておよそ1,200円ほど。非常に美味しく堪能させていただきました。

それにしても知ってた?カツカレーは日本食なんだって


健康で文化的な最低限度の生活とマズローの欲求

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

わたしの近況報告はというと、欲しい欲しいと言っていた【屋根】【仕事】【口座】がすべてどうにか揃えたことに尽きるかな。この3項目は、この地において根無し草の自分がそれ(根)を生やすための最低条件だと思ってきたからまずは最初の低い階段をのぼれたのだと思う。

別の表現をするのなら、低次元のマズローの欲求を満たすこと。これについては自分のブログに書いたことと重なっちゃう。

せっかくだからWikipediaから抜粋しよう。

欲求段階説(よっきゅうだんかいせつ、英: Maslow's hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。これは、マズローの欲求段階、自己実現理論とも称される。

ピラミッド状の階層を成し、マズローが提唱した人間の基本的欲求を、高次の欲求(上)から並べる。

⑤・自己実現の欲求 (Self-actualization)
④・承認(尊重)の欲求 (Esteem)
③・社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
②・安全の欲求 (Safety needs)
①・生理的欲求 (Physiological needs)

(出典元:Wikipedia)

2018年4月12日〜の1ヶ月のできごとを置換したのが下記の通り。合致です。

⑤・(秘密)
④・(秘密)
③・仕事
②・屋根と口座
①・料理と洗濯と掃除

ということで、次の近況報告にはもう少し高次元の欲求を満たせているのか?!乞うご期待。あはは


若葉ちゃんへ

イヤホン越しにある東京のどこかで考えこんでいた若葉ちゃん。そのとき何を思っていたか告白すると、

ちょっとパーソナルスペースに近い

ということでした。わたしが普段見かけたり喋ったりするときの若葉ちゃんは(もちろんあの場はワークスペースというのはいうまでもなく)処女投稿で書いた通り【コミュ力の塊若葉ちゃん】だったわけです。

ちょっと嬉しかったのだと思う。ほら、仲良くなりたい人とは、きゃっはうふふのテンション以外で話せたとき「お!」と思ったりするじゃない?

だだっ広いカフェの真ん中で、わたしもそれを感じていたのだと思います。


おゆちゃんへ

若葉ちゃんが先にお暇したあと、しばらく二人で話せて嬉しかったです。

真っ先に「碧さん、餡子って冷凍で送れますかね?!」と聞かれて、何かからフッと救われた気がする。その可愛さ、一体どうしたの?!

ありがとうね。(いっそ貴女を空輸したい

そして樹木希林さんが言ってましたよ、として教えてくれた「よくわからないうちにするのが結婚」という言葉。「結婚は勢いだよ」と知人に言われたことを思い出しました。

リレーションシップというものはつくづく厄介。なぜ「厄介」かというと、自分のことさえ時にアンコントローラブルになってしまうから。

わたしたちは変わらないでいることはできないから、変わる関係性を保っていける人とこそ関係って築くべきなのだろう。

って、まどろっこしく考える前にするのが結婚だそうですから、諸先輩方の名言はいつもムズカシイ。


余談① 同調意識の成れの果て

考えなしの「好き」という言葉は「人間関係を円滑に行うための意味をなさない行為でしかない」という二人の分析。そういう現象があることはみとめつつも、いまのわたしならその「好き」を剥ぎ取ってけちょんけちょんに踏み潰してしまうのだろうな。

でも、それはちっとも凶暴なことではないと思ってる。

だってそんな代替可能な同調意識、此処イギリスでは価値がないんだもの。同調するなら同調するあなただけの理由を、同調しないなら同調しないあなただけの理由を、此処では求められる(首振り人形はディスカウントされておみやげ屋さんで売ってるからね)。

だから、それはちっとも凶暴なことではないと思ってる。

だって価値に気づいただけのことだから。知らぬが仏、知るは何かな?


余談② 成長していく様子を成形しなさいと言われたら

渡英した4月12日以降、だいたい毎日日記をつけている。「毎日」というと、さも寝る前にしっかりつけているかのような響きだけれど、そのまえについているのが「だいたい」だからね。ときどき、ではないのだけれども。

それを読み返すと、数文字だった日もあれば、10,000字書いた日もあったの(未完)。1日=24時間=1440分と数的には決められているけれど、特殊相対性理論の概論を読んで以降、時間は平等じゃないと思ってる。

時間は不平等で、時間は柔軟で、時間は長かったりするし、時間は短かったりする。日記の文字数を読んでいるとその濃さが違うのは一目瞭然で、改めてその一ヶ月を生きてたことを思い知るわけです。

でも「数文字の日」がある反面「10,000字の日」があるのもアリだと思ってる。増えたり減ったりまた増えたり(ときどき減ったり)、その繰り返しがもしかしたら成長なのかもしれないから。いくつもある変化のうちの成長に当たると思っている。希望的観測を含めてね。

クビレたっていいじゃないって思ったのね。
クビレって魅力的だし。

目を背けがちだとしても「数文字の日」が勝負だったりする気がしてる。


余談③ 最近と今後のスケジュール

5月15日(火)★ 若葉ちゃんとおゆちゃんとグループ通話
5月21日(月)新しい仕事を始める
5月27日(日)友人A ロンドンへ来る
6月02日(土)新しいフラットへ入居する
7月13日(金)最初の大仕事(〜15日(日))

フラットメイトからの契約書締結メールの最後がこう締めくくられていたから、わたしもその言葉をそのままコピー&ペーストすることにしようと思う。二人の旅路に幸がありますように。


Let's start this nice adventure !



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