あきらめたら試合は終了したけどさ、わたしの人生はそこからまた動きだしたよ
パーソナルコーチのMidoriです。
このnoteではわたしが29歳から現在に至るまでにあきらめたこと、そしてあきらめたからこそ得たもの、そこからまた動きだした人生の経験をシェアします。
あきらめるって決してネガティブなものだけではない。
いろんなことをあきらめたからこそ、そう思うのです。
そして今何かを「あきらめよう、でも本当にいいのだろうか・・・」と迷っているあなたに向けてわたしの経験を通して大丈夫だよ、とそっと声をかけたい、そんなnoteになればいいなと思ってこのnoteを書いています。
あきらめたらそこで試合終了は本当か?
おそらく世代をこえて知られているであろうスラムダンクの名言。
あああ、安西先生、、すみません、あきらめかけていましたわたし、、、
と何度も何度もこの言葉に励まされてきた。
ああスラムダンク、今すぐ読み返したい。
そう、本当に本当にこの言葉に何度も助けてもらった。
けれど30代になった今、本当に試合終了なのだろうか?とも思う。
正確にはどこを「試合」と切り取るのかによっては、あきらめることで終了するものも得られるもののあるのでは?と思っている。
人生であきらめてよかった2つのもの
わたしはこれまで2つあきらめたことがある。
人生の目的として「勝負に勝ち続ける」こと
自分以外の誰かになろうとすること
この2つはわたしの人生であきらめてよかったと思っているものだ。
この2つあきらめたからこそわたしが手にしたものは、穏やかな日常だった。
あきらめたからこそ得た3つのもの
穏やかな日常を構成しているのは3つの要素。
安定したメンタル、ストレスのない人間関係、健やかな体。
挙げればキリがないがないが大きく分けてこの3つに分類ができる。どれか1つでも欠けることなく合わさることで穏やかな日常ができていると心からそして体からも感じる。
いちばんわたしが驚いたのは体の変化。
30代に突入したことで老いを感じることはとてもあった。
特に年々ひどくなる生理痛や生理前の不調(PMS)にはとても悩まされていた。これが驚くほどになくなった。薬を飲むこともなくなった。「そういうものだ」とあきらめていた不調が見事になくなったことにはいまだに驚いている。(もちろん、人の症状によっては病気の可能性もあるため安易な自己判断はおすすめしない。まず体のことは専門の医療機関へ。)
これらの経験から一概にあきらめる=ネガティブなものと捉えなくなった。
では、そもそも「あきらめる」とはどんなことを意味するのか。
諦めるとは
そう、あきらめというとネガティブに思うかもしれないが本来の意味は決してネガティブなものではなかった。
もちろん、あきらめることはそう簡単なことではなかった。なんせ、「あきらめない」ことがわたしの強みでもあり長所でもあった。あきらめないことでたくさんのことを得た。振り返るとキレイにあきらめられたことは何一つとしてなかったように思う。泥まみれになりながら、もがきながらあきらめきれず何度も何度も挑戦して最後にやっとあきらめられたものばかりだ。
あきらめたこと
20代最後の年、手にした海外移住の夢をあきらめた
海外移住をあきらめること、それはつまりわたしにとって自分の人生の中で勝ち続けることをあきらめることを意味していた。
29歳、これが最後のチャンスだと思い、海外転職にチャレンジした。海外移住は子どもの頃からの夢だった。海外移住の夢の切符を手にした時の高揚感はきっと一生忘れない。子どもの頃からの夢が叶った瞬間だった。(海外移住の話は詳しくはコチラ)
それなのに、わたしの心は出発の日が近づくごとに違和感が増していた。
「あれ?この夢を叶えたらわたしどうなるんだっけ?その後わたしの人生ってどうなるの?」
いつの頃か海外移住という夢を叶えることが目的となってしまっていたことに気がついた瞬間だった。それは人生の目的を見失ってしまったような喪失感でもあった。気がついてしまった以上、なかったことにはできなかった。そしてわたしは長い間悩んだ末、海外移住の夢をあきらめる決意をした。使われなかったビザ、使われなかった大容量のスーツケースはいまだに残っている。
部活でレギュラーに選ばれること、関東大会に出場すること、クラシックバレエで主役になること、学年で1位になる続けること、世界一周をすること、インテリアデザイナーになること、第一志望の企業から内定をもらうこと、海外移住をすること、これまで叶えてきたこと全てに「勝つ」という意味が含まれていた。もちろん、純粋な「好き」「うまくなりたい」「叶えたい」という気持ちも確かにあった。けれどそれだけではなく、「叶えること=勝つこと」という意味がわたしの中には確かにあった。その勝負は、人との比較における勝敗ではないものの、人生における「終わらないゲーム」を意味していた。
勝手にはじめてしまった「終わらないゲーム」に自分自身が疲弊をしていた。何よりも人生の目的が「勝負」ということに虚しさを感じた。
この「終わらないゲーム」を終わらせるために、わたしは海外移住をあきらめた。それまでは高速道路の追い越し車線をブレーキの壊れた車でアクセル全開、ベタ踏みで走っていたような人生だった。でも、それを終わらせたいと思った。勝負に勝つために景色が見えない追い越し車線を走るのではなく、もっと違う道のりを楽しみたいと思った。勝負よりももっと大事なもの、大切にしたいものを大切にする人生を生きたいと思った。
30代、メンタルダウン。そして自分ではない誰かになろうとすることをあきらめた
海外移住をあきらめ、30代に突入した頃、転職をした。
自分の大事なものを大切にするために、と決意はしたけれど現実は簡単ではなかった。考えてみれば30年もの間、無意識的にでも自発的に「勝負」を自然発生させて生きてきたのだから当たり前っちゃ当たり前だった。
気が付くと降りたはずの高速道路でまた追い越し車線をブレーキが壊れた車で走り始めていた。
けれど、そんな生活は長くは続かなかった。転職してから2年が過ぎたある日、頭がパーンと真っ白になった。強制終了がかかった瞬間だった。メンタルダウンを引き起こし、働けなくなった。それまでも違和感はずっと感じていた。涙が止まらなくなる日なんてずっと続いていた。それでも会社に行き続けた。会社に行けば涙が止まった。今振り返ると頭が真っ白になったのは体からの最終警告のようだった。
働けなくなったことで、やっと自分が自分であることを受け止められた。どんなに頑張ってもできないものはできない。自分には大事な何かが欠けていてそれを埋めたかった。今のままの自分ではダメで、自分ではない「あの子」や「上司」「あの人」のようになりたかった。変わりたかった。
けれど、どんなに否定してもどんなに変わろうとしてもわたしはわたしでしかなかった。そんな状態になってやっと自分のままでいい、自分のままでいようと思えた。自分のではない誰かになろうとすることをあきらめた。それは、わたしがわたしであることを認め、わたし自身が自分の人生を引き受けることを意味していた。
あきらめたことで見えてきたわたしの願い
29歳から現在まで本当にジェットコースターのように目まぐるしかった。(noteには書いていない文脈、29歳以前も目まぐるしかった。そのお話はまた今度)
あきらめたことで見えてきたわたしの願い。
これがわたしの願い。とってもシンプルだった。
シンプルだけどむずかしい、これがわたしの正直な感想。
これを今わたしは経験しようとしている。
これまでの人生でどれもやってこなかったことだ。
あきらめたことで、この願いを経験するための人生が動きだした。
あきらめラジオへの出演
プロデューサーであり、国際コーチング連盟ICFの認定コーチでもある、ぐっちさんのあきらめラジオにゲスト出演した。
改めて自分の言葉で何をあきらめたのかを言葉にすると自分の願いが明確になった。このラジオをきっかけにこのnoteを書こうと思った。ぐっちさんに改めてお礼を伝えたい。
何かをあきらめようかどうか悩んでいるあなたへ
「大丈夫」そう伝えたい。
たしかにあきらめることはこわい。わたしも未だにこわい。あきらめるまでに時間もかかる。スパンと綺麗にかっこよくあきらめられた試しは、残念ながら今のところない。
けれど、そうやって悩んで立ち止まって、泥まみれになってでも自分と向き合ってあきらめた後にはきっとあなたにしか得られないものがある。
それが何かはわたしにもわからない。わたしと同じものかもしれないし、違うものかもしれない。けれど、きっとあなたはそれをきっと見つけられる。そうわたしは信じている。
あきらめたら試合は終了するけれどあなたの人生は終了しない。
わたしの人生があきらめたことでまた動きだしたように、
あなたの人生もまた、そこから動きだすのだ。
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