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読書感想 犬が伝えたかったこと

暑い日が続いていますね。
熱中症警戒アラートが各地で発令されていて、外での活動が「危険」であることが国レベルで示されている。
しかしながら、高校野球は予定通り外で開催されているわけで。
開催するべきではないということが言いたいわけではない。

じゃあ結局「熱中症警戒アラート」って何なの?
と問いたいわけです。

危ないよー気をつけてね!
俺らは言ったよ、危険だってね。あとはそちらの責任でお任せしますね。

ということなのだろうか。

行動制限をかけるものではないことは重々承知している。
緊急事態宣言でも、行動制限ってのは非常に国民からの反発が生まれるのが目の当たりにしてきた。

だからって、「熱中症警戒アラート」が出ていても、結局外での活動ができるのはどうなんでしょうか。。。何の効力があるのでしょうか。。。

人は予定変更を嫌うものだ。できる限り、予定通り開催してほしい。
だから、熱中症警戒アラートが出ていても、
「部活動は、対策をうちながらやっているのだから、うちの活動もできるはずだ」
「高校野球もできているのだから、我々も活動できるはずだ」
と考えてしまいがち。
その考え方は合っているのだろうか。

活動も違う、対象年齢も違う、活動時間も違う。

この暑さは緩和することはないだろう。(勝手にmcykmは言い切る)
異常気象と一緒に我々は生活していかなければならない。

であるならば、一旦腰を据えて
「この熱中症対策は理にかなっているか」
を話し合うことが私は必要だと思う。

周りを見ても、
「一時的なものでしょ」
と考えすぎているように感じられる。

筆を走らせたら、熱くなってしまいました。すみません。。。泣

今日も読書感想をしていく。今日は前段が重い話だったので、後半はライトに。
書籍は、「犬が伝えたかったこと 三浦健太著」である。

感想の結論から。
「言葉が通じない生き物との関わりは、想像力を高めさせてくれるな。想像したことが的外れだったとしても、1人(飼い主)で勝手にストーリー化する。それで良いのだと思う」

私の家にも昔、犬が1匹いた。
雑種で、知り合いの家で生まれた幼犬をもらってきたのだ。

初めは姉が非常に可愛がった。名付けも姉である。
徐々に年齢が上がり、姉は家にいることが少なくなったので、代わりに母が面倒に見るようになった。
私と弟は、面倒くさがりな性格があり、犬の面倒よりも自分の娯楽(もっぱらゲーム)に走ってしまった。
父は単身赴任をすることが多かったので、あまり面倒を見るわけではないけど、帰ってきたときには、結構散歩に連れて行っていたと記憶する。躾けるために、犬を蹴ることもあって、今考えると動物虐待だ。想像するだけでも痛い。

そして、最期を看取ったのは「母」だ。
最後の最期まで可愛がっていたのは「母」だ。
ウチは結構みんなバラバラに生活することが多かったので、飼い犬のことまで気が回らなかった。今となれば、責任放棄だと反省する。
それでも可愛がっていたのは「母」なのだ。
最後まで見放さないよ
そんな愛情深さを感じさせる母の行動だった。

こんな感じが飼っていた犬との思い出である。
面倒を最後まで見ていない私が語るのもどうかと思うのだが、
今思い返すと、
「今の撫で撫でがすごく喜んでいた!」
とかそんなことはたくさん感じた。

それは、私の勝手な解釈なのだと思う。
言葉を話さない犬が撫でられて
「喜んでいた!」
と想像して、勝手に喜ぶ。

もしかしたら、
「早く飯くれ」
かもしれない。

でも「喜んでいた!」と直感で思い、
次からもこの撫で方をしよう
と行動指針を決める。
そして、喜んでいたら、次は何をして喜ばせようかと考える。


こんな風に言葉の通じない犬(犬に限りませんが)を飼うっていうことは、想像力を豊かにするし、ストーリーを自分で描くし、で非認知能力が高まるのではないかと思ったわけです。

私は実家を出て、家族を持っているのですが、残念ながらペットを飼う余裕はありません。余裕が何よりも大事だと思っているからです。

子どもが巣立ったら、犬でも飼うのかな?
どんな未来が待っているのだろう。

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