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原体験を思い出す #子どものころに心躍ったこと

今日は、平日休みでとてもとても充実した1日だった。
朝、妻と子どもを送り出したあと、朝食の後片付け、洗濯を乾燥機から取り出すなどなど家事に奮闘。その後、コーヒー飲みながら読書、これがまた、勉強になったことばかりだった。メモを残したので、また今度の機会にnoteでまとめてみたい。

昼に買い物をして、昼食のチャーハンを作る。食べ終わってから、この前のお家キャンプで使った鉄板だの重曹を溶かした水に浸したものたちをこれでもかとがんこだわしで洗ってやった。キャンプ道具たちもさぞかし喜んでいることでしょう。

そして、ひと段落して、走りに行こうと近くのスタジアムへ向かった。スタジアムの近くに入浴施設があったので、ラッキーと思いながら、そこの駐車場に車を停めて、スタジアムの周りを1時間程度走った。

ここが最高に気持ち良かった。天気も暑すぎず、寒すぎずというのも関係していると思うが、そんなことより、とーーーーっても心が躍ったことがある。

それは、ワールドカップを行ったことのあるようなスタジアムを眺めて走ったことである。

ん?それのどこが、そこまで心が躍ることなのだろうか、わざわざnoteにまとめるようなことなのだろうか。

否!これはまとめるべきだ!と私の心は叫んでいる。

なぜなら、そのスタジアムを見て、無心で走って、ぼーっとする中ら、自分が子どもの頃に好きだったことを思い出せたからである。こんなに嬉しいことはない。このスタジアムでサッカーの試合を見に行ったことも何度もある。もちろん、その時も高揚していた。

ファンがわんさかいるから?

スタジアムをこだまする大音量の放送があるから?

サッカーの試合が楽しみだから?

上記に書いたことも一因しているが、きっとそうではなかったのだ。
その時には、情報が多すぎて、何が自分の心をぶち上げていたのか、きっと分かっていなかった。

今日そのことに気づいてしまったのだ。子どものころに心を躍らせた原体験が、大人になって蘇っているのだと気付けたのである。

それは、「建物の建築技術」。

スタジアムでいうと、無骨なコンクリートの素材や屋根が途中で切れている(真ん中はない)その外観。観客席のピッチに対する角度や近さ。などなど、

今日は特に外観をゆっくりと眺めることができた、

私は、子どもの頃から、建物の建築技術に心を躍らせていたのだ。

気になっていたのは、「駅舎」と「学校」である。

同じ用途(規模によって違いはあるが)で外観は違うのである。もちろん内観も違う。

この合理性を超えた、デザインの美しさに、少年Aは魅了されていたのだ。

「なんかこの駅、古い感じだけど、かっこいいなー」

「この駅の表示、こんなところにあるのが、意外性があって面白いな」

「この学校は、グラウンドが大きな道路1本挟んで先にあるから、建物がドンとしている感じがするな。」

「なんでこんな形してるんだろう」

さまざま建物を見て、思考したのを覚えている。親とドライブに出掛けていると、近くに駅や学校が見えると、

「ごめん!戻って、駅みたいから見させて」
とわがままなお願いをしてしまったほどだ。

こんなに気になって仕方がなかった、建物の建築技術も、年を重ねるごとに恋愛や部活など違うことに意識がいってしまい、ゆっくりフェードアウトしていった。
そもそもそんな原体験を忘れているくらいで、素晴らしい建造物に行っても、気分は高まっていたのだが、違う理由だと勘違いしていた、

違うのである。私は、建造物を眺めるのが好きなのである。

情報過多で隠れていた自分の心が躍る原体験を思い出すことができた、何とも素晴らしい1日だった。

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