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魂は個体と集合体の側面があり、多様化を目指している

魂は個か集合体か 

ボクは、この世界はシミュレーション世界で魂はプレイヤー、生命はシミュレーション内のキャラクターだと考えている。

だから、魂があることを前提にするけど、魂が個なのか集合体なのかという問題もある。

もしかしたら、魂とは、普段は個だけど、危機的な状況になれば粘菌のように集団で行動するのかもしれない。

それでは、そんな魂の目的とはなんだろう。

集合的無意識は魂か本能か

人間に意思の有無について、脳内の化学反応にすぎないと考えている脳神経学者は多いそうだ。では、意識はどうだろう。人類は3000年ほど前には意識はなかったと考える学者もいる。

ジェインズは古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』に注目します。そこに登場する英雄アキレウスやアガメムノン王は、しばしばギリシアの神々からの言葉に耳を傾け、自らの行動を決めていきます。テキストをよく調べていくと、「意識」とか「精神」を示す単語が出てこないのです。さらに現代の私たちには自明の「自由意思」という概念が出てこないと、ジェインズは分析し、その頃の人々は神々の声を聞く<二分心>を持っていたと推測します。
しかし文字の普及により、人々は次第に現代の私たちと同じような「意識」を獲得していき、やがて神々の声を聞かなくなっていった……ジェインズは『イーリアス』の後日談である『オデュッセウス』や、神の声を聞いた預言者たちの姿を描いた『旧約聖書』の記述を分析しつつ、古代文明のありようと、<二分心>から意識への推移がどのようなものであったかを大胆に論じていきます。もちろんジェインズの説には賛否両論がありますし、意識の問題だけにタイムマシンでもない限り「はっきりとした証拠」を示すことはできません。しかし人間の意識の問題に関心のある方は、ぜひ本書を手に取ってみてほしいと思います。そして人間にとって最大の謎といってもいい「意識の問題」について、考えてみてください。

ジュリアン・ジェインズによれば、人間は徐々に意識を認識して、獲得してきたという。ジェインズの説が正しいなら、意識が生まれる前の人間は、集合的無意識に支配されていたのだろうか。

ユング心理学で最もメジャーな概念といえば、「集合的無意識」。
心理学以外の分野の本にも度々登場するキーワードですので、
みなさんも一度や二度は目にしたことがある言葉ではないでしょうか。
 
これを理解するためには、まずはユング心理学の基礎について
ざっくりと知っておく必要があります。
 
まず、「元型」(アーキタイプ)という言葉。
これは、人の心の中に普遍的に存在していると考えられる
「イメージパターン」です。
 
例えば、ふっくらした体型の女性を象った土偶などに
母親的なものを感じるのは、「母親元型」が働くからです。
 
同様に、厳しく教え諭してくれる賢者のイメージは
「父親元型」の表れです。
 
これらのイメージは、は古代から伝わる神話や伝説、芸術、
個人が見る夢の中にも見られることから、
人類の心の中で脈々と受け継がれてきたものであると
ユングは考えたのです。

心理学の実験にブーバ・キキ効果というのがある。この実験の結果が、文化や人種、年齢、性別を問わない普遍的であることから、集合的無意識の存在証明だと主張する学者もいる。

ブーバ キキ効果とは、ドイツの心理学者であるヴォルフガング・ケーラーが提唱した心理効果です。次のような尖った模様と曲線の模様を見せて、「どちらがブーバでどちらがキキに見えますか?」と聞くと、不思議と98%の人が尖った模様がキキで、曲線の模様がブーバと答えました。

集合的無意識が存在するとなら、魂とはどんな関係があるんだろう。魂は、無意識の集合体なんだろうか。魂を何かの集合体として捉えている文献を探してみたが、聖書のマタイによる福音書のレギオンしか探せなかった。この一節はドストエフスキーの悪霊にも出てくる。

レギオーン。
 人間に取り憑いていたが、イエスによって追い払われた悪霊の一群。
 『マタイによる福音書』第8章第23~34節、『マルコによる福音書』第5章前半、および『ルカによる福音書』第8章後半によれば(中略)
 はじめはこの悪霊に取り憑かれた人はイエスから離れたところにいたが、イエスが「汚れた霊、この人から出て行け」と言ったのでこのように言った。
 「かまわないでくれ。苦しめないでくれ。まだその時ではないのに(マタイ)」
 そこでイエスはこの悪霊の名を尋ねた。すると、
 「名はレギオン。大勢だから」
 という答えが返ってきた。レギオンはこの地から追い出さないでほしい、底なしの淵に行けと言わないでほしい(ルカ)、とイエスに懇願した。遠いところ(の山)で、豚の群れが餌をあさっていた。レギオンは、できればあの豚に乗り移らせてほしいと願った。イエスがそれを許すとレギオンはその人から抜け出て2000匹ほどいた豚たちの中に入り込んだ。ガダラの豚の群れは突如として暴走し、崖から落ちて湖で溺れ死んだ。その代わり、取り憑かれていた人は正気に戻って服を着てイエスの足元に座った。

魂が無意識の集合体だと仮定すると、単細胞生物の集合のように全ての無意識が均一なのか、それとも、アリのように無意識の中にも役割分担がされているのか。

魂の目的

魂の性質は、ボクは粘菌のような、普段は単体の無意識として振る舞い、環境によって一つの巨大な意思のように振る舞うものではないかと考えた。

細胞性粘菌は、栄養が十分にある環境では単細胞アメーバとして存在しています。それが集合体となって変幻自在に動き回るようになるのですが、集合するきっかけを作るのは“飢餓状態”です。粘菌が存在する環境に栄養が少なくなると、集団となって子実体(しじつたい)を作るのです。子実体とは、胞子を形成し放出するための“キノコ”のような形態です。子実体となって次世代につながるクローンである胞子を放出するのです。これが、いわば集団を形成する “目的”です。集団を形成する具体的なメカニズムはというと、飢餓状態になったとき、細胞性粘菌が放出するサイクリックAMP(以下、cAMP)という物質がそのカギとなります。
cAMPは、ほかの粘菌に集合を促すシグナルであり、このシグナルを受け取った周囲の粘菌は自分自身も同じくcAMPを周囲に放出します。数百から数万もの細胞のcAMPの放出がそろって、波打つように集合し、子実体を形成するのです。この様子を顕微鏡で観察すると、きれいな渦巻き状の動きが見られます。それはあたかも、サッカースタジアムで観客がウェーブを起こすような、規則正しい動きの連鎖です。

魂の中に、悪霊や凶悪犯罪者のような存在あって、他の魂に危害を与えたとき、魂全体は悪しき魂を異物として排除するんじゃないかな。まるで、粘菌が免疫機能を働かせて異物を排除するように。

粘菌の捕食に使われていたレセプターが、群体内における異物除去(ハウスキーパーとしての免疫機能)に転用されているという点は、確かに要注目である。自然界ではあらゆる生命が食物連鎖でつながっており、無駄なものなど何もない。免疫システムも、そのような循環システムの延長にあるのだなと、思わず納得。

悪しき魂は生きている時も集合的無意識が規定する社会に罰せられる。そして、生命から離れた悪しき魂は、ビックバンに向かって過去への長い旅をして消滅する。なぜなら、魂全体は周りに危害を加える異物を生まれ変わらせたくないからだ。

集団において「順応」がごく簡単に人の行動を操ってしまうことができるのかが浮き彫りとなった。更に驚くべきことは、潜在意識下で同じ様な力が働き、あなたの考えを形成しているということだ。今あなたが自分の考えであると信じていることは、実は順応によって植え付けられた他人の考えなのかもしれない。

そう考えると魂の目的とはなんだろうか。生命は生殖によって多様性を得ている。魂が個と集団の中間的な存在なら、多様性こそ魂の目的じゃないだろうか。

さて,これまで述べてきた多様性は,種分化の過程や 生殖戦略に生殖が深く関わることで獲得されたもので す.生殖に関わる事例で,もう1つ多様性を示す興味深 い事例があります.それが性決定の多様性です.雌雄が その目的を達成するためには雌雄で異なる生殖腺(精巣 と卵巣)を分化させること,すなわち性を決めることが 必要です.そして,この性決定に求められる重要な点は, 集団中に2つの性の存在が保障されなければならないこ とです.どちらかの性のみが分化してしまうようなこと が起きれば,その種は絶えてしまいます.したがって, 2つの性の存在が保証されることが重要なのですが,そ れさえ満足できれば性決定の様式はどんなものでもよい はずです.そして,実際に広く動物界を眺めれば,性決 定の様式がいかに多様な分化を遂げたかを知ることがで きます.

ボクの考えでは、生命に結びつかない魂は無に還る。未来に向かうために魂は生命と結びつかないといけない。それを抜け出すためには、魂が生命から電脳化というアセッションすることで初めて多様化できる。
魂の集合体は、魂が電脳化というアセッションするためのゆりかごなんだろうか。

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