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[小説]ある統合失調者の記憶 4話 ホームサーバー

 今回は、4700字くらいです。前回は、息子の発言から心が有り得ない世界に放り出された瞬間を書きました。今回は、詐欺の話をしながら少し遠回りしつつ妄想の世界に入り込んだ直前に何があったのかお書きします。


 わたしは、2021年春に転職したときに減る年収をどうやって、補填するかということを毎日のように考えていました。わたしのそのときの悩みに気づく人がいたなら、儲けるためのビジネス書を勧めたかも知ません。ところで世にビジネス書が溢れていますが、残念ながら現実に収入を増やすには至らないものばかりです。詳しくお話しすることができませんが、仕事の関係上、いろいろな情報に触れることが多かったので、簡単に儲けられるというものをわたしは信じていません。少し話が傍にそれますが、皆さんはこんなお話をご存じでしょうか?

 この秘密のテクニックを知れば、あなたは毎日確実に現金が手に入る!というチラシが郵便ポストやダイレクトメールとしてあなたの手元に送られてきます。お金に困っていたあなたは、まじまじとその文面を見つめます。確実に現金が手に入るという文字が視界のほとんどを占めてしまい、そんなうまい話があるわけがないと思いつつ、携帯電話を手に取ります。そして、ためらいつつも文面の下に書かれていたメールアドレスを入力していきます。メールを送ってからは、不安と期待が練り物のようにぐるぐると周り、いつもよりゆっくり時間が過ぎていきます。何度も時計を見ながら不安を覚えていくあなた。それから、1時間くらいでしょうか?メールからの返信があります。文面はこんな感じでしょうか。
「あなたは、幸運なお客様です。この方法はあまりにも効果が高すぎて、たった一人の方だけにお伝えしようと考えていました。メールでは身元がわからないですし、しっかりした人だけを対象としたいので、信頼関係を確認するための情報料をいただく形をとりたいと思います。つきましては、10万円を次の口座へお振込みいただきますようお願いします。」
 あなたは、何か怪しいと思い、相手方に身元の保証を求めます。そうすると、法人の履歴事項証明書と代表取締役の身分証が送られてきます。疑いを持ったあなたがインターネットで調べてみると、その法人は実際にあるようでした。お金に困っていたあなたが何度かメールでのやり取りを通して、相手を信用して送金する意思を固めます。そして、送金した翌日に次のメールが送られてきます。
「あなたの街の近くにある自動販売機の周りをよく調べてみてください。特に小銭が出てくる場所を丹念に調べることです。そして、自動販売機の下や、隙間も見逃さないことです。そうすると、あなたの手には幾らかの小銭があることでしょう!日本にある自動販売機は無数にあります。その一つ一つを調べてみますとあなたは1万回繰り返して、100万円を手に入れることでしょう!」
 そうです、あなたは騙されたのです。
 倒産した法人のほとんどは破産することなく放置されます。そのような会社の登記は、5万円程度で売買されているようです。そこに適当な人物を代表取締役にしてしまえば、実体のない会社を簡単に作ることができます。詐欺師が会社の代表取締役に就任することはまずありません。お金を回収しようにも法人の所在も分からず、あなたはお金を取り返すこともできずに泣き寝入りすることになります。
 ここで、この詐欺師のメールを少し考えてみましょう。あなたは疑問に思いませんか。詐欺師は振り込まれたお金をそのまま持ち逃げすれば良いのに、わざわざふざけたメールをあなたに送ってきたのか。
 まず、あなたに送られたチラシやダイレクトメールはあなた一人に送られてきたものではなく、何十万人という人たちに送られています。その中で、何人かを騙せれば詐欺師の勝ちなのです。そして、詐欺師は詐欺行為を何回も繰り返すために法律のギリギリをいつも狙っています。この詐欺のポイントは、「確かな儲け話を相手に提供したという事実」はきちんと存在しているということです。自動販売機を使った儲け話は、あなたが望む確実に儲け話とは異なるかも知れません。しかし、詐欺師の提供する儲け話もまた、決してお金を得ることができないというものではありません。何十箇所も自動販売機を漁れば、幾らかの小銭を手に入れることができるでしょう。詐欺罪として警察に訴えるための条件は、詐欺師があなたを騙す意思を持って、あなたの財産を詐欺師に移転させることです。あなたは、詐欺師があなたを騙していたと立証することができるでしょうか。もし、あなたが詳しい儲け話の内容を確認しないまま、お金を送金したのなら、メールの送り主である詐欺師を詐欺罪で訴えることは難しいでしょう。最近話題の情報商材詐欺は、わたしのお話をより高度にしたものです。
 ビジネス書の多くはビジネスパーソンとしての精神論を記載しているものがほとんどです。中には、素晴らしい本も当然あります。例えば、苅谷剛彦氏の「知的複眼思考法」、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」、水野敬也氏の「夢を叶える象」といった名書をあげることはできるのですが、いずれも心のあり方や考え方に一石を投じるもので、儲け話に直結するものではありません。一方で、儲け話を謳うビジネス書には詐欺まがいのものが散見されます。こうすれば絶対儲かるといった謳い文句は、わたしが先にした物語である自動販売機の詐欺に近いものがあります。ですので、残念ながら巷で紹介されるビジネス書で利益を出すことはとうてい難しいと考えて良いと思います。もっとも、一部の人はビジネス書に書かれた方法で成功するかも知れません。しかし、成功するための秘訣は、それだけにとどまらず、多くの要素が混ざり合ってはじめて成功するもののようです。例えば、特定のSNSでバズる人たちの一部は大手広告代理店といった特定のWebマーケティング会社の支援を受けている場合があります。多くの証券会社では運用資産1000万円以下の顧客は富裕層に対する運用益のために利用されています。中には一部の外郭団体のような国から手厚い支援を受けている人もいるかも知れません。わたしが指摘するまでもなく、残念ながら、儲け話のスタート地点からはるかに後ろに下がった状態で挑まなくてはならないのが何もコネクションをもたない人の実情です。社会は弱肉強食とよく言われていますが、詐欺と適法の曖昧な中間点というものがビジネスの世界です。成功者のほとんどは、自分達が競争相手を踏み台にして成功してきたことを強く認識しています。このことを肝に銘じている成功者は、ビジネス上の秘訣を絶対に教えようとはしません。一度、誰かに教えてしまえば、成功者は新参者に居場所を奪われてしまうからです。

 将来を悲観していたわたしは、確実に儲けるためにどうすれば良いか考えていました。一方で、簡単に儲ける方法がないと考えていたこともあり、追い詰められたわたしが考え出したのは、暗号資産をプログラムを利用して自動売買する事で、運用益を出すという方法でした。
 わたしは、プログラム関係の仕事をしたことがありませんでした。しかし、コロナ禍の真っ只中でリモートワークのために自宅で待機していたこともあって、寝食を惜しんでプログラミング言語の一つであるpythonを2カ月程度で学び、暗号資産を自動運用するために必要な基礎的なものはできるようになりました。暗号資産を使って資産運用をするという方法を考えた理由は、いくつか理由があります。まず、暗号資産の運用にAPIが公開されていること。わかりやすくいうと、暗号資産を運用する口座の入金や出金、暗号資産の売り買いなどをプログラミングで制御できる窓口が解放されているという事です。暗号資産の値動きが大きく、ハイリスク、ハイリターンであること。安定した資産運用をするほど資産を持っていなかったわたしには短期的に利幅が大きい暗号資産の運用が魅力的に写ったのです。そして、24時間取引ができること。他の投資と違ってマーケットが24時間開いていることで、投資の可能性を広げることができると考えたのです。
 そのための準備としてわたしは、ホームサーバーの中に仮想マシンを作り、常時プログラムが稼働できる環境を作りました。最大限に利益を出すためには24時間プログラムを動かす必要があったのです。今のホームサーバーは極めて優秀で、サーバーのスペック次第では通常のPCと遜色ない動作を期待することができます。当時わたしが使っていたホームサーバーは、グラフィック機能を拡張するGPUを組み込むことができたハイエンドモデルでしたので、使い方によっては、サーバーの中に仮想のwindows10を入れてゲームすることだってできてしまうほどでした。そのため、常時稼働させることを前提としているホームサーバの中に仮想のOSを作ってプログラミングを動かした方が効率的だと考えたのです。

 プログラミング言語とは、言語ごとに色々なクセがあるようです。いくつもあるプログラミング言語からpythonを選んだ理由は、高度で複雑な数学を簡単な方法で計算してくれるからでした。ディープラーニングなどの分析手法は、摩訶不思議な作用をする魔法のようなものでは決してありません。何回も反復計算するプログラムがミルフィーユのように何層にも積み上がった結果、予想もしなかった多様な計算結果を生み出すようになったもの、それがディープラーニングをはじめとする深層学習の正体です。pythonは、このディープラーニングをはじめとするデータ分析をするためにツールが充実していました。プログラミング言語の発達によって、高度な数学を計算できなくても、どの数値を必要するかを理解して命令できさえすれば、高度な統計分析ができるのです。これを使わない手はありませんでした。
 しかし、プログラムが優秀でも作る人間の命令がいい加減だと、利益を上げることはできません。そこで、儲けるためのロジックも並行して考えなければいけませんでした。儲けるための鉄則は、安いときに買い、高いときに売るという至極当たり前の考えからスタートします。しかし、どのタイミングが買い時なのか売り時なのかというのは、素人が考えてもわからないものです。暗号資産に限らず、投資資産の分析は、市場心理を読むということに他なりません。そこで、市場心理を読むために使われるようになったのが統計学です。わたしは、昔から数学が苦手でして、投資の勉強をするようになった2021年になって初めて微分積分の意味を理解する有様でした。そのため、統計学を勉強しながら、暗号資産を理解するために、地震計のように震え続ける市場の値動きを見つめ続けました。暗号資産の変動に一定のルールがあるんじゃないかと、もしかしたら、そこに金の卵が眠っているんじゃないかとプログラミングが計算する数値をわたしは何時間も何日も睨み続けました。
 わたしは、暗号資産のデータを10秒単位でマーケットから取得し、何度も繰り返し取得したデータを加工しました。そして、暗号資産のチャートに地震計で用いられる数式を当てはめてみようと考えました。つまり、一度大きく変動した価格は、地震計のように激しく振幅を繰り返し、新たなに大きな価格変動がなければ、しだいに振幅しなくなるという考えです。この考えに基づいて、データに修正を加えました。このときのわたしは、暗号資産の市場心理は、地震のように外的要因によって変動し、大きな外的要因がなければ価格変動は安定すると考えたのです。しかし、この考え方は、致命的にわたしの精神を蝕むことになります。
(続く)

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