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デジャブが幻想か予知かは現実に起きるかどうかの違いだ

幻想か予知か 

オリンピックの開会式が始まる。ボクは、以前の記事でパラリンピックの終わりから世界恐慌が始まると書いた
そして、多くの占い師の人たちも、今回のオリンピックは波乱があると予知しているようだ。

予知といえば、ボクは、デジャヴュを初めて経験した。
それは地震が起きている状況を見ているような不思議な感覚だった。

デジャヴュは、学者は幻想だという。
ボクには白昼夢に思えた。
人によっては、予知かもしれないという。

ボクのデジャヴュが幻想か未来を予知したものかは、実際に起きるかどうかの違いにすぎない。

でも、調べる方法が今はない。

デジャヴュの学説

デジャヴュとは既視感ともいう。ボクは、5月にデジャヴュを始めて体験した。ボクの体験を書く前に現在のデジャヴュ研究を調べ直してみよう。

過去に経験・体験したことのない、初体験の事柄であるはずにも関わらず、かつて同じような事を体験したことがあるかのような感覚に包まれること。「前にもどこかで一度これと同じものを見たような気がする」という感覚。

デジャヴュの新しい研究では、記憶の誤りを発見したときに修正するされるとき、感じるのがデジャヴュだという。

この間の脳の様子をfMRIで測定。脳の前頭部が記憶をチェックし、そこに何らかの記憶の誤りを発見した場合に信号を発信していることが判明する。どうやら、記憶の食い違いが修正され、それを意識的に感じるときに既視感として感じられているのだそうだ。
 これは、記憶の誤りが加齢とともに増える一方で、既視感を覚える頻度は減少する理由のヒントにもなるかもしれない。
 既視感は脳が誤った記憶を作り出すことが原因だという説があるが、そうではなく、記憶の誤りを防止していると考えたほうが理にかなっているだろう。
一方で、これでは既視感を体験しない人がいることを説明できないという批判もある。これについて、オコナー氏はそうした人は記憶力が優れ、記憶の誤りが少ないため、既視感も生じにくいのではないかと推測している。

そして、まだ、経験したことがないのに次に何が起こるかわかる感覚は学説においては脳がみせる幻想ではないかと考えているようだ。

デジャブの研究をしているコロラド州立大学のチームは、「デジャブの間に次に何が起こるかわかる感覚が起こりますが、それは幻想ではないかと考えられます」という研究結果をPsychological Science誌に掲載しています。

ボクのデジャヴュ

ボクが経験したデジャヴュは、ステロイド鬱だった5月中旬に起きた。
起きた内容は一貫して地震に関するものだった。

1回目は、息子を自転車の後ろに乗せて公園に移動しているときだ。
ボクは、どの道でどんな災害が起きるかわかった気がした。例えば、木が倒れる場所、道路が崩壊する場所、走って駆け抜けなくちゃらならない場所、なんだかわからないがとんでもなく大きなものがボクに向かってくる場所が、わかる感覚だ。

2回目は、障害者ケアセンターに家族で訪ねたときだ。地震後に暴漢がケアセンターに乱入する感覚が起きた。不思議なのは、息子の動きが空想の暴漢の動きと重なって見えたことだ。
一人目は、左前方からやってきたので、そのまま右手で受け流し、右側面にある壁に頭を当てる。
二人目はナイフを持った暴漢で、右から飛びかかってくるから、ナイフを大きく左に振ったスキに両手で殴る。
三人目は、ハッタリをかまして追い払う。
空想が終わった時は、まるで実際に動いたように、顔面蒼白で、全身が汗だくになっていた。

3回目は、ボクがどこで、どんな怪我をするか分かったような感覚だ。
最初の地震の後に道路を走っていると転倒して左膝を怪我する。
2回目?は怪我人に肩を貸しているとき、落ちてきた木の枝に頭を打って怪我をする。
3回目?は2回目の地震で地面が崩落して、地下に落下し右足を大怪我する。

もちろん、ボクには、過去にこんな経験をしたことはない。当然だけど、武道の経験もなければ、暴漢に襲われたこともない。
この体験は精神病からくる白昼夢か?それともデジャヴュや予知なのか?

白昼夢(はくちゅうむ)は、日中、目覚めている状態で、現実で起きているかのような空想や想像を夢のように映像として見る非現実的な体験、または、そのような非現実的な幻想にふけっている状態を表す言葉[1]。願望を空想する例が多い[1]。白日夢(はくじつむ)とも呼ばれ、英語では、デイドリーム(英語:daydream)と呼ばれる[1]。

ボクは、以前の記事で、魂は時間を未来から過去に逆行すると書いた魂が逆行するなら、未来を知っているから予知ができる魂が神経伝達物質をとおして未来の記憶を脳に伝達したのかもしれない。ボクの体験は、幻想なのか、予知なのか。残念だけど、今のところ調べる方法はない。

予見は「交通事故のような危険を予見する」という表現があるように、根拠をもとにして物事が起こることを見通すことを意味します。
予測は「ドラマの展開を予測する」という表現があるように、根拠をもとにその先に起こる出来事の結果だけではなく、その後どうなるかといったところまで予想することを意味します。
予知は「未来予知」という表現があるように、占星術的根拠はあるのかもしれませんが科学的な根拠がないまま、将来起こる出来事を予想することを意味します、

そのため、予見と予測には科学的根拠が必要ですが、予知には科学的根拠がありません。また、予見と予測は、前者は結果のみを、後者は結果とその後の成り行きをそれぞれ意味するため若干差があります。これらが、予見、予測、予知の明確な違いです。

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