博士取得から直接大学教員になるデメリット
博士在籍当時は博士取得から大学教員に直接なることが普通だと考えていたが,大学教員となった今周りを見渡すと,いったん就職した後に大学教員になった例も意外と多い。
よくある道を示すと以下の通りだろうか。
多いのは①の例。博士を取得後,一般企業や国の研究所で研究員として採用され,それから数年~10年後ぐらいに大学教員になる。
②の例も周りに多い。修士取得後,普通に就職したものの,研究職への思いを断ち切れずに数年で退職して博士課程に入学し直す。
③の例もありえるが,数としてはそれほど多くない。社会人ドクターとして勤務しながら博士号を取得する人はもちろん多いが,そこから大学教員になることは,社会人ドクターとなることを許可してくれた勤務先に不義理になる。
いずれにしても,自分のように博士取得から直接大学教員になる道,それとも社会人経験を経てから大学教員になる道,どちらが良いのだろうか?
社会経験
社会経験とは何だろう。
思えば小中高の教員などもよく社会経験がないことを批判されている。
自分の経験上,大学教員にとって「社会人力の有無」みたいなものはあまり関係ないと思っている。
もちろん大学教員にもコミュニケーション能力は必要だが,特に若い世代の教員はきちんと採用試験を通り抜けてきており,割とまとも?な人間が多いように感じる。
その職種での礼儀やマナーは経験を通してでしか得られないものでもあるので,社会人経験があるからといって社会人力が特段高いとも思わない。
また,大学教員は割と外部(民間企業や省庁など)との繋がりが多いので,小中高よりも閉鎖的ではなく,自省するタイミングは多い。
むしろそういったことよりも自分が社会経験の有無の差を強烈に感じるのは,個人の人間としての厚みといった背景的な部分だ。
例えば,オムニバス形式の授業であるテーマに関する授業をする必要がある場合,自分の場合には自身の極めて専門的な内容(しかも他の授業で既に扱っているもの)以外に思いつくことが少ない。
社会人経験があれば,「あの時の業務で扱っていた内容」とか「どこどこで過ごした経験」とかそういった引き出しが多いように思う。
前職の内容を授業の1コマにできることは素直に羨ましく思う。
専門から少し離れた領域での経験というのは社会人を経た方が獲得しやすいように思う。
実務経験
実務経験も大学教員には得がたいものだ。
もちろん大学での研究の最終目的は社会貢献だが,大学にいるとなかなか研究成果が社会で活かされる場面が想像しづらい(もちろん分野にもよるが)。
企業は利益を得るために社会に必要とされる事業を行うし,省庁は市民のためになる活動を行っている。
社会人経験のある先生は,研究成果が社会実装されるプロセスだったり,現場での課題だったりを理解している傾向にあると思う。
ただし,あまりに実務的な研究に傾倒してしまうと「その研究をわざわざ大学でする必要はないんじゃないか?」という雰囲気になることもある。
人脈
別の職場を経験することで,単純に人脈は広がる。
特に同じ分野で大学教員になった場合には,その人脈はそのまま活用することができる。
大学内や学会活動などで,「この話は前職での同僚が詳しいのでお願いしてみますよ」とかいう場面はよく見かける。
また,研究活動においても前の職場との共同研究などがスムーズに運びやすいメリットもある。
ただし,これらは学生時に他大学の大学院に進学した場合や,他大学に職を移った場合にも多少は獲得できるものではある。
年齢
ここまで挙げた社会人経験を経ることによるメリットは,裏返すと直接大学教員になることのデメリットとなる。
直接大学教員になるメリットを挙げるとすると,わかりやすいのは年齢だろうか。
比較的若い年齢で大学教員の職に就くことができ,それは研究環境の構築や研究分野の探求,学会活動などで有利に働くだろう。
これについてはまた別の機会に書きたい。
偏った考察かもしれないが,改めて考えると社会人経験を積むメリットの方が大きかったかもなと思う。
一言で言うと,大学の環境しか知らない自分は薄っぺらいなと感じることが多い。
ただし,公募の状況は運の要素が大きいし,なりたいからといって必ずなれる職業でもない。
職場環境によっては大学教員の道に進むことを断念せざるを得ないケースもある。
結局は結果論か。
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