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もしも

もしも、

あの時こうしてたら。

こっちを選んでたら。

過去に戻れるなら。

もう一度やり直せるなら。


今までを振り返ると、もしも、もしも、と思う場面はたくさんあるけれど。

それは、自分が過去に選択した先の結果を知っている今だから言えることであって、あの時はあの時の自分が成し得るだけの精一杯の選択をしているんだといつからか思うようになった。

いい意味で「仕方ないよね」と自分を許してあげる。

例えば、子どもがずっと大きくなって親の手から離れるようになったら、もっといっぱい遊んであげれば、抱っこしてあげれば良かったなって思うかもしれない。でも、今の自分のキャパシティの中でどうしても子どもの全てを受け止められない時だってある。イヤイヤが重なったりずいぶん大きく重たくなったのに四六時中抱っこしてと言われたら時には親もしんどい。後々、たくさん怒ってしまってごめんね、とか今は構ってあげられなくてごめんね、とか思ってしまうけれど、子どものことが大好きで愛情があるのは大前提で、その上で少し子どもと距離を置いたり、家事や自分のことを優先する、という選択をその時の自分がしても、それを選んだことで、次の日には心落ち着かせて少し余裕が生まれてもっと優しくできるならそれでいいじゃないか。そうやってバランスをとっていけばいい。

人に優しくなれなかったり、自分の小さなプライドや正義感を譲れなかったり…大人になると、なんであんな恥ずかしい失敗をしたんだろうとか、もっといいやり方があったろうにとか、もっと余裕や視野の広さを持ったらいいのにとか、いくらでもそんな反省や後悔が沸いてくる。

そうやってまだまだ未熟だった自分から何かを学んで、これから同じ失敗をしないこと。なんなら過去のうちに失敗や迷いを経験してくれたおかげで、今がより良くなる選択肢が増えているというか…

それが、もしもを消化していく方法なんだろうな。

一番いいのは、まだ見えない先の結果をしっかりと想像して思い描いて、今から未来に向かって最善の選択や努力をすること。大人になった今ならきっとできる。

いつまでも過去に捉われない。

しっかりと今を生きよう。


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