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疲れない支援の続けかた

昨年の2/24に始まったウクライナ侵攻がきっかけとなり立ち上がったWDRAC(ワドラック)こと一般社団法人戦災復興支援センター。
細々とではありますが、このWDRACの活動に今も関わらせてもらっています。
WDRACについてはこちらの記事でも書いています。

ウクライナへの軍事侵攻からは早いものでもうすぐ1年、WDRACが立ち上がったのが昨年の3月15日。
ウクライナでの戦争はまだ続いているし、WDRACの活動自体はウクライナの状況に関わらず世界に戦争による被災者がいる限り続きます。

そんな果てしなくなるような気持ちはひとまず置いておき。
改めて振り返ると、無理なく、でも何もしないよりは何かの力になれている実感を持ちつつ、ここまでWDRACでの支援活動に関わることができたと思っています。

はじめての、復興支援

実は私、募金とか、災害ボランティアの経験はありますが、こうやってNPOの立上げや運営に関わったのは初めてでした。つまり、どちらかというと、寄付とか支援とかに積極的に興味を持ってきたわけではなかったということです。

振返ってみて思うのは、一時的に関心を寄せ、募金やボランティアをすることはあっても、それらは時間と共に風化していきがちだということです。

でも、今回は細々とではあるものの、運営に関わり続けることで、WDRACが支援する先の人たちのことだけではなく、戦災や寄付ということ自体に、私自身これまでより関心を寄せることが多くなりました。
また、支援事業に関しては戦災のみならず、自然災害や子供たちへの支援など様々な種類があり、不思議と他のジャンルにも以前より気持ちが向くようになった気がします。

一時の関心が悪いわけではない。みんなで繋いでいけたら。

関心を寄せることが多くなったことを実感する一方で、NPOの運営に携わることで感じたのは、
「一時の関心や支援でも助かるし、本当にありがたい」
ということでした。
だから、一時的なことが悪いとは思いませんし、「支援する」ということにおいては、どういう形が偉いとかでもないのだなと感じています。

大切なのは、支援を必要としている人がいたとして、助ける力がある人は手を貸すことができる、そんな状況が社会にあるということなのかも知れないな、と今は思っています。

責任感や後ろめたさはなし。ポジティブにできることを。

実際、私もWDRACでたくさん時間を使って活動に関わる時期もあれば、仕事や体調など状況としてしんどい時には少し距離を置いて関わり方を変えた時期もあります。

でも、自分の活動にも濃淡があるように、他のメンバーも多く関われるときとそうでないときがあって、それでも、関わる人いる限りは活動はなんとか続いていくものだなと、この1年近くをふり返って思うようになりました。

だから、あんまり関われていないけど・・・という後ろめたさは全くなく(笑)、これができた。これならできる。と自分でも不思議なくらいポジティブに関わり続けることができています。

これはWDRACに関わる人たちがそうさせているのか、支援というものがそういうものなのか、はたまたこれが代表である彰さんのファシリテーターとしての実力なのか…私自身まだよくわかっていませんが、少なくとも私は、WDRACではできないことに対しての「すみません」よりも、できたこと、やってくれたことに対しての「よかった」とか「ありがとう」を感じることの方が多く、とても気持ち良く関わらせてもらっています。

無理なく続けられているのはこの辺にも理由があるのかも知れません。

そして実は、、楽しい。

戦争が起きて、被災した人がいて、という経緯を考えると、楽しいと言葉にするのは若干気が引けるのですが、でも、WDRACの活動は実際のところ楽しいと感じる部分も多いです。

具体的には↑にリンクを貼った『WDRACのいいところ』にも書きましたが、
・新しい人たちとの出会いと、その人たちとの関わりが単純に面白いということ
・オンラインのコミュニティ運営において色んな学びがあること
かなと思っています。

そして、WDRACでの学びは実際の自分の仕事や日常でもポジティブに活かされているような気がしています。

まさか、「誰かを助ける」ということが、自分の「楽しい」とか「面白い」に繋がっているのはなんだか不思議だし、やってみての発見でもありました。
(というか私のストレングスファインダーには「学習欲」が入っているので、学びが多いことで楽しい!に繋がりやすいのかもしれません。)

誰かのためでも、自分のためでも、支援は支援。

戦争も、被災した人たちが世界にたくさんいることも決して良いことではありませんが、でもこれをきっかけに良い繋がりや学びがあることで、未来も、過去の出来事に対するとらえ方も、少しポジティブに変えることができるかもしれません。

いずれにしても、何のためにかはその人自身が納得できていればいい訳で、結果的には支援が必要な人に少しでも多くの支援が行き渡ればいいのではないかなと思っています。

そんなWDRACでは、「友達(の友達)が困っているから助けようぜ」というくらいの気持ちで、少しずつ友達の輪を広げていき、これからも少しでも多くの支援を届けていきたいと思います。

お金はあまり出せない、現地に行くことはできない、あまり自由に使える時間がない、そんな中でも「関わる」ことで支援になるし、それが自分の喜びに繋がることがあるという発見。

これが疲れずに支援に関わり続けてこれたことの1つかなと思っています。
今後関わっていく中で新たに感じたメリットやデメリットがあったら、またふり返って書いていきたいと思います。

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