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牧師夫人の徒然なるままに(七八八) 「あなたの恵みとあなたのまことが絶えず私を見守るようにしてください」(詩40)その2
私は、詩篇の表題の祈りを心から捧げようと思います。そして、創造主はそんな私の祈りをいつも実現してくださっていると確信しています。
先回の信号がすべて赤だった時の言葉「ついてない」や、犬の糞を踏みつけてしまって「運が悪い」というぼやきは、信仰の幼さからくる不信仰な言動です。そんな言葉を無意識に吐く私は、とりもなおさず、まだまだ幼稚な信仰者でしかありません。
それでは、成熟した信仰者はそんな時にどんな反応をするのでしょうか。未熟な私でもわかっています。
すべての私の言動を見守ってくださる主なる神はその見守りにおいて私への最善しかなさらないことを確信できます。ですから、私は「信号がみんな赤だけれど、もし、その前の緑の時に通過していたら、見逃した出会いがこの後待っているかもしれない、とか、ここで停車しなかったら、先のどこかでとんでもない事件に遭遇していたかもしれない」と考えるべきです。目に見えないことをも信じることが信仰者の特権です。
いつも見えるものにばかり翻弄されてあれこれと不平をこぼすのは止めます。私の前には偶然はあり得ません。運も縁もありません。あるのは神の最善のみ。いつもそのように考えながら歩みたいものです。
安食道子
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