見出し画像

牧師夫人の徒然なるままに(七八五) 「御言にこそ真理が」(その4)

 今、振り子は「寛容」に大きく振れています。ジェンダーの平等、人種間の平等、障がい者への差別の撤廃などなど。世界中の世論がその方向に向けて進んでいきます。でも、この振り子が勢いづいて 振れ過ぎたらどのようになるのでしょうか。
 ジェンダーの平等を唱えても、神さまがお造りになった男女の性別と特性、役割などは歴然とした違いがあるのではないでしょうか。どんなに頑張っても一部の例外を除いては男性の筋力に追いつける女性は少ないでしょう。女性の張り巡らす直感のアンテナの数に勝るアンテナを備えている男性は多くはないでしょう。女性の会話力を越える話術に長けた男性も多くはないはずです。赤子を胸に抱いて母乳を与えられるのも女性だけです。いくら母乳を保存して哺乳瓶で与えても、暖かな母の胸のふれあいには勝てません。
 明らかな役割の違いがあるにもかかわらず、平等という名のもとに同じことを強いるのは間違いです。
 人種差別への抗議は当然です。しかし、形式だけの差別の廃止を訴えても振り子は振れ過ぎるのではないでしょうか。先ごろあのマーガレット・ミッチェル著「風と共に去りぬ」が差別の書として取り扱われ、ハリウッド映画の名作も弾劾の憂き目にあったと聞きます。かつては絶賛された作品だったにもかかわらず。
安食道子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?