【母ロス】死別→うつ病。20代自営業の私が生きているのは「責任感の鎖」

母が亡くなって、1ヶ月が経った。

心も体も鉛のように重い。寝ている時はまるで体に重しがあばら骨に沿って何本も乗っているかのようだ。立っていても、めまいのようなふらつきと全身の重さに襲われる。頭では母の死を理解しているつもりでも、心はまだ追いついていない。

日常生活が崩れていくのを感じている。
8月の初めまで、私はあらゆる家事をこなしていた。洗濯も、料理も、それどころか遺産相続や各種手続きも不自由なくできていた。

けれど、9月に入り気が付けば、日に日に体が動かなくなった。朝から夕方まで、カーテンで閉め切った自室の入り口で横たわり、ただ時間が過ぎる。それだけの日々を過ごしている。

枕元の時計に手を伸ばすことさえ億劫になり、風呂に入ることさえままならない日々が続く。料理ももう無理だ。この数日は499円のスーパーのお弁当で食事を済ませていたが、それすら買いに行く気力がなくなった。

収入はゼロ。自営業なのに、仕事が手につかない。母の遺産があるから、あと1年は何とかなるだろう。でも、それ以降は?全く見当がつかない。人生の先は見えない。どう人生を歩いていけば、と考えても明るい未来は想像できない。

父はパーキンソン病だ。認知も怪しくなってきている。昨日、自分でインスタントラーメンを作って食べたようで、ガスコンロの火を昼11時から13時までつけっぱなしにしたままだった。結局、それに私が気づいて慌てて消すことになった。

「火事になるかもしれなかった、ちゃんと火を確認して」そう怒る気力もいまはない。もう疲れた。

介護が必要なのはお互いだ。父も俺も、体がまともに動かない。調子がいい時に、どうにか支え合う。だが、最近の私は洗濯物を干すことさえも一苦労。何もかもが手につかず、金も稼げない。焦燥感が募る。寝ている日々に焦り、後悔しながら1日を終える。

このまま生きる意味があるのか、そんな考えがいつも頭をよぎる。死にたいわけじゃない。ただ、解放されたいだけだ。1月1日の能登半島地震で家族5人を失った男性やガザの空爆で子供を失った親、私よりも悲惨な人はいくらでもいる。そうは分かっていても、比較して「自分はまだマシだ」と言い聞かせても、生きづらさが消えるわけじゃない。

63歳の父、そして7歳の猫がいる。その存在が、私を現世に縛りつけている。父を世話しなきゃならない。猫も見捨てるわけにはいかない。だから、生き続けるしかない。

ある種の呪い、死にたいのに死ねない。だけど自死を選択しないためのストッパーでもある。

それでも、ふとした瞬間に命を終わらせたいと湧き上がるときがある。

今、ただほっとできる時間が欲しい。

母の死から1ヶ月。母を失い気持ちも整理がつかず、収入も途絶え、父の介護、家事、将来の不安、悲しみと混乱の日々。

たった1日でも不安を忘れて安らぎを感じたい。そんなささやかな願いを抱いて何とか呼吸する日々を送っているんだ。

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