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はじめまして、自己紹介です。

はじめまして。中山ミユキです。
noteの使い方はほぼ理解しておりませんが、
書きたい!伝えたい!ことがたくさんあるので初めてみました。

早速ですがはじめましてなので、自己紹介を。

中山ミユキ、現在33歳。兵庫県出身、都内在住。

今はフリーランスでアクセサリーを作って販売をして生活しています。主に都内の期間限定SHOPや委託販売、WEB販売などを中心にオリジナルでアクセサリーパーツから作成して販売するという、端から見ると好きなことやって生活している人です。

これまでの経歴は、2007年21歳で服飾専門学校卒業後、某大手アパレルメーカーの販売員として就職。
キャリアブランドの販売員として大阪の某百貨店に1年半勤務したのち、東京に住みたい!(キラキラ!!)と思い、会社に直訴して都内の店舗へ異動させてもらい、夢の東京生活がスタート。
その後、都内の店舗を転々と異動し2011年春に店長へ。(紆余曲折あり、一応店長のポジション的な位置づけでしたが、それはまた今後記事にしていきます。)

店長として約1年勤務したのち、なんだかこのまま同じ日々を送っていても成長できない(お給料も上がらない)なぁと思い、転職を決意。アパレルからは離れたくなかったので、競合他社へ1回の面接ですんなり内定をもらいシレっと転職。

ということで2012年春。2社目はCMで有名になったカジュアルブランドが看板のベンチャー系アパレル企業。(当時は) 
前職と違いすぎる環境にギャップを受けまくりつつも、早く店長になりたいと思いながら働く日々。(めちゃくちゃ体力勝負の職場環境)こちらの会社ではとにかく異動が多く、最初に配属された店舗は2週間で異動となり、その後も2年ちょっとで5店舗を転々としました。

入社後、1年半後ほどで店長になり楽しかったりしんどかったり、色んな不満があったりと悩む日々が増えてきて(詳しくはまた今後の記事で) 
アパレルとかもうそろそろ卒業で良くない?!と自問自答した結果、異業種への転職を決意。
当時28歳、20代のうちにやりたいことはやっておこうととにかくアクティブでした。ただ、異業種といっても何がしたいのか?何が出来るのか?何もわからないまま、とりあえずで転職活動を始めてみました。

転職活動で、履歴書やエントリーシートを書く中で、『自分の強み・弱み』を考えないといけない場面が多々あり、これまでの販売で培ってきた接客力やコミュニケーション力を生かせる仕事が良いのかなぁと漠然と考え、当時割とアツい業界だった(と思ってます)人材業界へ行こうとふんわり決意。販売と営業ってそんなに変わらんよねとふんわり思い、何社か面接へ。

アパレル販売員の給与水準の低さに嫌気がさしまくっていたので、営業で結果を出せば給与も上がるという観点で転職活動した結果、ゴリゴリベンチャーの人材紹介会社の営業兼、キャリアアドバイザーとして新たな生活が始まります。

結果的に1年しないうちにこの会社は退職するのですが、この会社に入ったことで世の中の見え方が変わりましたし、めちゃくちゃ大変でしたがとても楽しかったなと思っています。
何もわからず、とりあえずスーツを買ってほぼ金髪で出社してた自分が懐かしいです。初めて名刺を持って、テレアポしまくってアポが取れた企業へ営業しに行って、、本当に営業の基礎を学ばせていただいたと思っています。ここで苦労したからこそ、今の自分がいるのではとも思っています。(当時一緒に働いていたメンバーからもなんか馴染んでるからずっと働いてそうと言われてました。)

苦労したといえば、1社目で一番最初に配属された大阪の店舗でもなかなか苦労しました。
そもそも人見知りなので、人に話しかけるのイヤなんですよね。。。
今でこそ仕事だから!と割り切れますが、21歳の自分はそんな考えに至るわけもなく、、、なかなか売れず、何を話せば良いのかも分からず、顔が怖いと言われ、毎日へこみまくっていました。

と、苦労話もまた今後の記事で面白おかしく詳しく書いていきますね。

そんなゴリゴリベンチャーな人材紹介会社では、
建築業界の人材サポートをしておりました。
アパレルからの建築。
異業種すぎて赤ちゃん並みの知識しかなく、
専門用語や業界のルールをゼロから勉強しました。
こんなヤツが人の人生左右するような仕事してて良いのかしら?と思うことも多々ありましたが、
当時の自分に出来る限りのことは全力でやっていたと思います。建築関連の会社の方々は若い女子がお好きなので(完全に偏見)、営業に行くといつも優しくしてもらえて逆にラッキーな面もあったり。。

そんなこんなで楽しく働いているつもりでしたが、
ほとんど休みもなく平日は終電が当たり前。
さすがにこれを何年も続けるのはしんどいよねということで1年経たないうちにあっさり退職。
もっとのんびり働きつつ、人材に関わる仕事が出来たら良いなーとふんわり考えた結果、某大手運送会社のグループ会社から内定をいただきすんなり転職。
(この時くらいまではなんだかんだで人生がイージーモードだった気がします)

新たに入社した会社では人材派遣の営業として採用されました。営業は男性ばかりのなか女子1人。良くも悪くもゆるーい環境なのでもうすぐ30歳になるし婚活でもして結婚して、のんびりやれば良いかーと思い働いておりました。(割と好き勝手やって、営業行くふりしてよくサボってました)

が、頑張らなくても良い環境というのが、どうやら性に合わない私。もっと売上とりたい!もっと大手と取引したい!新しいやり方でやりたい!と不満が続出。たぶん社内の周囲の人から見たら充分頑張ってるやん、のんびりやれよと思われていたかもしれませんが、売上上がってないのにこんなにのんびりしてたらあかん!となぜか焦る私。
そんな中、人材派遣の営業もしつつWEB製作の営業もしてよと会社から言われ、「え?イヤでーすっ!無理でーす!辞めまーす!」的なノリで退職。(ほんとはもっと真剣に悩んで決めてます)

退職後、自分のやりたいことを完全に見失い。
人材業がしたいという漠然とした思いはありましたが、どの会社に行っても前の2社と同じ結果になる気がして怖くてなかなか新しい就職先を見つけられずにいました。
業界的にも数年前はアツかったですが、このころはちょっと厳しくなっていたので人材業を続けても先がない気もしていました。

とは言え、生きていかないといけないので、とりあえず派遣で働くかーと思い、たまたまお世話になることになった某百貨店のプライベートブランド。
販売より事務の方が時給が良いので、やったことないけどやればできるっしょ的なノリで潜り込むことに成功。

31歳にしてまさかの派遣社員生活が始まります。(人生がハードモードに切り替わりました。派遣を馬鹿にしているわけではなく、不安定で大変だという認識です。)

ここでの経験が今のアクセサリー作りの原点になっています。
プライベートブランドでアパレル事務的なお仕事を任され、社員のみんながモノ作りをして店舗でどう売るかを考え、WEBで販売するために準備をしてSNS更新して、、、など間近でみているうちに、
「え?これめっちゃ楽しくない?やりたいんやけど!」となり、自分でなんか作って売っちゃおう!と思い立ちました。

当時、直接雇用で働かないか?とお誘いも頂きましたが、自分が会社員に向いていないことに薄々気づき始めていたのでお断りし、派遣という立場で皆さんのサポート役に徹しつつ、自分でブランド作っちゃえ!と今のアクセサリーブランドを作りました。

1年半、派遣で働きつつアクセサリーも作ってイベントやWEBで販売して、、、という二足の草鞋生活をしていたところ、まさかの派遣先のブランド終了という悲しいお知らせ。
でもこれは良い機会なのかも!と前向きに考えることが出来て2019年春から自分で作ったアクセサリーブランドだけで生活をしています。

数年前は自分がこんな生活をしているなんて夢にも思っていなかったですが、今は毎日がとても楽しく充実しています。
会社員という安定からは完全に離れてしまったので、これから死ぬまできっとずっと人生ハードモードですが、それはそれで良いと思える日々です。

長くなりましたが、これが中山ミユキの半生(かなり端折ってますが)。今後の記事では、販売で全然売れなかったころ、こうやったら売れたこと、アパレルあるある、販売あるある、営業で成果がでるやり方、営業先でよくいる変な人など、真面目とオフザケを織り交ぜつつ、1ミリでも誰かの役に立てば良いなという内容をUPしていこうと思っております。



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