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MBA日記 悲鳴に耳を澄ます

先日のMBAの授業の内容。
前回の続き。

デザイン思考の続きのスライドを紹介します。
今回はとても心に残る言葉、

「悲鳴に耳を澄ます」

についてです。

 世界は大きな変革の渦中にあり、ものづくりやコミュニケーションの価値観が揺らいでいる。
 ITテクノロジーが世界を新たな構造に組み換えようとするとき、それまでの生活環境に蓄積されていた美意識は往々にして犠牲になる。
 世界は技術と経済を携えて強引に先へ進もうとし、生活の中の美意識は常にその変化の激しさにたえかねて悲鳴をあげるのだ。
 そういう状況の中では、時代が進もうとするその先はまなざしを向けるのではなく、むしろその悲鳴に耳を澄ますことや、その変化の中でかき消されそうになる繊細な価値に目を向けることの方が重要。


ここで、これまでの生活環境に蓄積されていた美意識のうち、
ITテクノロジーによって犠牲になったもの、
ってなんだろう。
考えてみました。

まず思い浮かぶのは、
何もしない時間
ではないでしょうか。

スマホという手のひらサイズパソコンにより、
いつでもどこでも手軽にインターネットに繋がる時代です。
手持無沙汰になるとつい、
スマホを手に取ってオンラインに接続してしまいます。

たとえ何か目的があるわけでもなく、
何か用があるわけでもないのに、
つい手に取って接続してしまうのです。

その接続先にあるものとは、
魅力たっぷりのバーチャル世界。
われわれのもつヒト遺伝子にインプリントされた習性に
ど真ん中ストライクで訴求するように作りこまれたサービス。

これは様々な研究や書籍でも指摘されている通り、
相当な「避ける工夫」をしないと、
スマホ時間は減りません。

精神科医の樺沢紫苑先生がおっしゃっていましたが、
ヒトは何もしない時に脳が整理されるらしいです。
つまり何もしない時間はヒトにとって必要な時間なのです。

日本ではお月見で代表されるように
景色を眺めながらボーっとする時間、
その時間を貴ぶ美意識があったハズです。
しかし現代ではそのような時間は浸食され、
しかも何もしないのは時間の無駄、
のような言われ方をすることもあります。

そのためわたしは、
先述した従来環境で蓄えられた美意識のうち、
ITテクノロジーの登場で犠牲になったものとして、
まず、
何もしない時間
を挙げたいと思います。

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