京都本屋案内3
※「京都本屋案内」自体はここが1軒目ではありますが、これより前に2軒紹介しているので、通しで採番しております。
佐々木竹苞書楼
地下鉄の京都市役所前駅からすぐ。本能寺のほぼ対面に今回訪れた佐々木竹苞書楼があります。見るからに古い佇まい。「見るからに」というのではなく、実際昔からやっている本屋です。
店の外には均一棚はなく、和本が積まれていました。洋本で積まれているのは、京都に関する大型本や書画に関する本でした。
店について
早速店に入る。想像したより狭い店内でした。入って左側には和本、右側にも和本。奥に洋本があるものの、本の束で取れそうもない、という感じでした。本格的に和本を触るのは、神田の大屋書店や誠心堂書店に行った以来で、やはり慣れないせいか少しだけ手が震えていました。
基本的に価格帯はお高めなので、買いやすいものがあるかじっくり本を物色しました。その辺に積まれていたり立っている和本の価格が財布の中身よりも高い、というのがかなりありました。圧倒的和本の山というのは初めて見たので終始圧倒されました。
会計のタイミングでほんの少しだけお話。今回は店主には会えなかったのですが、なかなかおもしろい話を伺うことができました。
まず店内の本について。前よりも2列くらい成長したとのことでした。2列なかったとしても和本が大量なのは、変わらないかもしれません。その他にも、店内にかかっている看板の英語が間違っていると指摘がたまにあるらしいです。達筆な筆記体が彫ってあったので、なかなかに読むのが難しく、書いてあるものは結局この時分からずじまいでした(実はこの英文、とある本に書いてありました)。
このような話を椅子に座りながら伺っていました。座っていた椅子、木の椅子かと思ったら暖房に当たっている部分がかなり熱くなっていたことから金属製のもののように思いました。
買い物してから店を去る前に名刺をいただくと、店主の名前が「佐々木惣四郎」でした。この店は代々佐々木惣四郎の名を継いでいるので、個人的には「本当に佐々木惣四郎だ」と少し感動していました。
次回伺う際には、ぜひ店主(竹苞書楼当主)から話を伺いたいものです。近世出版史の勉強が必要になってきますが……
資料から見る佐々木竹苞書楼
さて、この佐々木竹苞書楼、ここで資料などを掘り起こして紹介する必要がないくらい各所で参照されている本屋です。手元にある本だけでも、井上和雄『慶長以来書賈覧』(彙文堂、言論社より復刊、のちに高尾書店から増補版が発刊)、池谷伊佐夫『三都古書店グラフィティ』(東京書籍)、宗政五十緒『近世京都出版文化の研究』(同朋舎)、蒔田稲城『京阪書籍商史』(出版タイムス社、高尾書店、後に臨川書店が復刻再販)、脇村義太郎『東西書肆街考』(岩波文庫)と、非常に多くの本で言及されています。もちろん、近代の書店を調べる上でほぼ必須文献である『全国書籍商総覧』(新聞之新聞社)や『現代出版業大観』(出版タイムス社)にも記載が確認できています。
また、佐々木竹苞書楼が発行した『若竹集』は、この店の初期の出版物など、江戸時代の書肆の活動がわかる資料となっています。200部のみ作られ、どうやら紙は因州和紙を使っていることが奥付からわかります。この本は2023年に東京古書会館にて開かれた東西吉祥会の初回で佐々木竹苞書楼が出していたため買いました。5分ほど迷いましたが、「佐々木竹苞書楼が出しているならこれくらいは出してもいい」とえいやで購入(諭吉3人でした)。
インターネット上では、連載の掲載元であるBOOKSHOP LOVERに「本屋探訪記vol.12:京都河原町にある歴史ある古書店「竹苞書楼」が、その他京都館というサイトでは「京都の古書店「佐々木竹苞書楼」のおすすめ本3選」のように様々な記事が掲載されており、本当に正直言うと自分がこの記事を書く必要がないのではないかと言われかねないような知名度です。長く営業しているだけあって、版木も多く(しかしながら大方は天明8年の大火で消失)持っていたようです。どうやらほとんどの版木は奈良大学へ寄贈されており、それを基にした研究成果が永井一彰「竹苞書楼の板木 ―狂詩集・ 狂文集を中心に―」と永井一彰『版木は語る』に載っているようです。
佐々木竹苞書楼は近世~近代において様々な文人墨客が利用していたようです。『若竹集』によれば、竹苞書楼初代春重の頃は与謝蕪村や池大雅、2代目春行の頃は上田秋成や塙保己一など、近代では『三都古書店グラフィティ』に富岡鉄斎が見えました。富岡鉄斎については、店名を揮毫してもらったようです(こちらは直接確認忘れ)。それ以外にも、内田魯庵の『紙魚繁昌記』に、「京都の佐々木竹苞楼で師宣の文間圖を十五圓で買つた」と残っており、内田魯庵も佐々木竹苞書楼を訪れていたことがわかります。
また、「京都の古書店「佐々木竹苞書楼」のおすすめ本3選」によると、「お店の中に鉄製の椅子があるのですが、この椅子は川端康成をはじめ京都にゆかりのある偉人の数々が直に座った非常に貴重なものです。」とありました。そのようなものと知らずに座ってしまいました。
店の方より、「店内にかかっている看板の英語が間違っていると指摘がたまにあるらしい」との話を伺いましたが、『若竹集』にこの看板について書かれていたので、以降に引用しておきます。
あまりに達筆で看板を見た時は何が書いてあったかよく分からなかったのですが、なるほどこのような内容だったのかと。たしかに"yea"は文章で使わないよなぁ、とは思いました(自分は英語が全くできません)。
佐々木竹苞書楼について、『若竹集』の「家系譜」に、店について書かれていました。曰く、初代春重の頃は「銭屋儀兵衛ニ受業 寛延四年五月、書林加入 宝暦九年十二月九日、銭屋惣四郎ト称ス、代々襲用 姉小路通寺町西入北側ニ住ス」とあります。佐々木竹苞書楼の創業年である1751年(寛延4年)は、「書林」、つまり、京都書林仲間(今風に言えば同業者による組合的組織)に加入した年であることがわかります。
続いて2代春行の頃について、「天明八年正月三十日、大火類焼 享和元年三月十五日、寺町通姉小路上ル西側(御池下ル、本能寺前)ニ地屋敷購入、即チ現在ノ地ナリ」とあり、天明の大火で焼けた後、現在の場所へ移動したことがわかります。
ちなみに、脇村義太郎『東西書肆街考』によれば、「元治のどんど焼きにも焼けて、文化以来の記録や、版木類を多く消失したようだが、復旧した店舗は、文化再建当時の様子を保存していて、店頭に「出し箱」の看板をおく徳川中期の書籍商の様子を、(中略)見ることができるのである。」とあり、幕末に禁門の変に伴って起きた「元治のどんど焼き」(どんどん焼け)で再度消失しているようです。現在の店舗は幕末以降に再建されたもののようですが、それでも150年以上は建っていることは間違いありません。
ちなみに、弘文荘の反町茂雄が神保町十字屋の酒井嘉七らの『書物春秋』に触発されて一誠堂書店の有志で作った『玉屑』の4号に「瓦の響」という記事があります。「瓦の響」、達磨屋五一の『瓦の響 しのぶ草』が元ネタなのでは……?そのうちこれに書かれた佐々木惣四郎について、記載するつもり、多分。
買った本
今回買った本は『古今書画譜跋』ともう1冊の2冊。くずし字について手ほどきをこれまで受けてこなかったので、自分は中身をそのまま読むことができません。そのため、「みを」を使えば少しは読めるのか、試したいところです。
これを買った理由は奥付にあります。奥付の出版人に「風月庄左衛門」の名前。これがこの本を買った理由です。この風月庄左衛門、橋口侯之介『江戸の古本屋』(平凡社)にて「本屋の日記から ―風月庄左衛門の『日暦』―」に「江戸時代の本屋の実情を知るための格好の史料が残されている。寛永期から続く伝統ある京都の書林・風月庄左衛門が書いた明和九年(一七七二)九月から一年ほどの日記である。」と述べられているように、数少ない江戸期の活動が残っている本屋です。井上『慶長以来書賈覧』によれば「現代の風月堂はコロタイプ印刷繪葉書の類を専業とし且つ数年前舊居を轉じたり」とあるように、大正期くらいまではあったようです。
風月堂は尾張名古屋にもあり(こちらは風月孫助)、太田正弘『尾張出版文化史』(六甲出版)にも名前が出てきます。そこでは『尾張名陽圖會』の引用で「元祖は美濃國の大田の人、兼松氏、京都書林風月堂に久しく奉公(後略)」とあり、京都の風月庄左衛門からの独立であることがわかります。また、太田『近代名古屋書籍商史』によれば、尾張風月堂からは永楽屋東四郎(片野氏)が出ており、この系図は近代において星野書店創業者、星野松次郎に繋がります。星野については永楽屋、というよりも永東書店、ではありますが。
さてもう1冊。これもなかなかおもしろい本を買いました。これを買ったきっかけは、刊記(語弊があるかもしれないが、今の本で言う奥付)に「銭屋惣四郎」、つまり佐々木竹苞書楼が書かれていたためです。当初は書名が分からなかったものの、国書データベースで書誌情報を検索することで、六合庵(津田正生) 著『眼前教近道』という書物であることがわかりました。
さて、刊記を見ていくと、「弘化四丁未年求刻」とあり、これは1847年に再度刊行されたものであることがわかります。その前には「文政十戊子年新刻」とあるので、この書物の初版は1828年ということがわかります。国書データベースを確認すると、初版の出版事項に「永樂屋/東四郎〈名古屋〉」と書かれており、名古屋の永楽屋が関わっていることがわかります。豊橋市中央図書館や半田市の図書館にあるようなので、いつか確認をしに行きたいところです。初版の場合、名古屋周辺の書店が刊行していただろうですし。そして愛知県に所蔵されているということは、貸本屋大惣(大野屋惣一)の蔵書印があるものがもしかすると見られるかもしれません。
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