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2013年12月15日 東京、退職願い

「宜しくお願いたしましゅ」

お辞儀をしながら、おきまりの挨拶をするも少し噛んでしまった。間の抜けた言葉が、エレベーター内にこだまする。目の前のクライアントは、どんな表情をしているだろうか。

少しおかしな雰囲気にはなったが、幸いエレベーターには僕しか乗っていなかった。ゆっくりと扉が閉まっていく。エレベーターが動き出すまで、お辞儀で伏せた顔は上げなかった。これは7年前、入社したての頃に覚えたマナーだ。

20人は入れそうな広い空間を、いつも持て余してしまう。だから、壁沿いにある操作ボタンの前にいつも張り付いたように立つことになる。

エレベーターが1Fに到着すると、少し重たいベル音が鳴る。扉の隙間が、ゆっくりと大きくなっていく。直線的な通路が目の前に伸びていく。

受付に立ち寄り、首から下げていた入館証を返却した。毎週木曜日には、髪の長い綺麗なお姉さんが座っている。いつも透き通った表情をしていて、僕が挨拶しようとも、顔色ひとつ変えることはない。彼女は、僕の手に触れないよう、入館証をそっと両手で受け取ってくれる。丁寧な所作が、ちょっと好きだった。

ガラス製の扉がゆっくり開く。街の喧騒が、鼓膜を過剰なまでに揺らす。12月の冷たい風が吹き込んでくると、頬のあたりがピリッとした。緊張感が戻って来る。乱暴にマフラーを首に巻きつけ、見慣れた景色のなかへ飛び込んだ。

モダンなビル群の足元から頭の先まで、冬の夕暮れがオレンジ色に包んでいく。クリスマス装飾用の豆電球たちが、体を寄せあうようにひしめきあい、宵闇を待つこともなく瞬いている。

ここは、全てのものを煌びやかにする街、銀座。有名ブランドのショーウィンドウで、マネキンがポーズをとる。マネキンたちに負けないよう、この町では皆が、少しだけ背筋をピンと張る。

赤く飾られた銀座を見るのは、今年でもう7度目のことだ。

僕は、大阪と京都の県境にある町で生まれ育った。そして、「なにわの良き伴侶」に巡り会い、子孫を残し、大阪に骨をうずめる。そんな人生を送るのだろうと、ぼんやり思っていた。

広告の制作会社に入社してから、はや7年が経過した。想像もしていなかった都会暮らしが、今では随分と体に馴染んでしまった。

時折、「関東弁」のイントネーションで話している自分に気付き、ぞっとする時があるくらいだ。

とはいえ、心を急かされるような空気には、常々吸いづらさも感じる。そのせいもあって、住む場所も都心から離れていった。移り住んだのは、海沿いの街であった。海風を吸い込むと、なぜか安心する。その上、この街はどこか僕の故郷に似ている気がする。とても穏やかな気持になる。

潮の香りがする住処から50分かけて、大都会へと通う日々が続いた。ぎゅうぎゅう詰めの地下鉄に乗る羽目になることを差し引いても、生活自体は刺激的だった。しかし同時に、違和感もおぼえていた。

銀座を歩きながら考え事をしていた。

「ここは僕の居るべき場所なのだろうか」

すると、ウィンドウショッピングをしていたマダムが、目の前で急に立ち止まったのが見えた。大きく身を翻して、なんとか衝突を避ける。

この忙しない大東京で、考え事をしている時間などない。少し歩みを速め、会社への帰り道を急いだ。

オフィスのあるビルが見えてきた。いつものように僕を見下ろしている。まるで大きな生き物に丸呑みにされるように、入り口へと僕は吸い込まれていく。

僕は焦っていた。

会社には、ホワイトボードに行き先と帰社予定時間を書かなければならないというルールがある。だが、書き込んだ予定時間から既に15分遅れていたのである。

所属している部署のあるフロアは7階にあった。エレベーターが到着するまでの間、遅刻に対してどう弁解するかを考えていた。エレベーターが7階へと辿り着く。

ドアがゆっくりと開いていく。

扉が両サイドへ完全に開ききるのも待たず、ドアに肩をぶつけるように急いで降りた。仕事と時間に追われ続けたことで、体に染み付いた習慣のひとつだ。

セキュリティーカードを入り口脇にあるスキャナーにかざす。

ドアロックが解除される。

廊下を通り、身を小さくして部屋に入っていった。

自分の席に着く前に、まずは帰社時間の書かれたホワイトボードの前へ行くことが急務だ。15分遅れの証拠を隠蔽しなければ。

幸い社内は人もまばらで、誰も僕の帰社時間を気にしていなさそうだ。急いで行き先と帰社時間を消す。

ほっと一安心。

ホワイトボードに背を向け、席に着こうとしたその時だ。

部屋の奥から、鋭い目線に貫かれた気がした。

振り向くと、バッチリ目があった。

部長だ。

この部長は京都出身で、自分でバリバリ仕事もできるため、部下へも仕事の効率を求める。やけに勘が鋭く、とてもせっかちなタイプだった。

僕の作戦は、失敗したらしい。とっさの判断で、「証拠隠滅作戦」から「しらばっくれ作戦」に移行することにした。悪びれる様子は見せずに、何もなかったような顔をして席に着こうとする。そこで、部長の早口が飛んできた。

「松田、ちょっといいか。会議室へ行こう。」

そう言って、部長は席を立った。いつになく、険しい表情をしている。

部長の表情がそうなるのも、仕方のないことだった。僕が現在担当しているプロジェクトの一つは、常に問題を抱えていた。部長の口癖である吐き捨てるような「ややこしい……」を聞かない日はなかった。

一つの問題が解決できたと思っても、その解決が新しい問題を連れてきてしまう。マンツーマン会議を連日執り行ってきた。

立ち上がった部長の端正なしょうゆ顔は、「松田はいつも仕事が遅い」という不満が、眉間のシワに刻まれていた。

真っ白な会議室は、取り調べ室のようだ。部長は、僕に奥の席へ着くよう促した。そして、椅子が軋むくらいに勢い良く腰掛けた。

深いため息をついてから間もなく、部長はいつもの早口で僕を捲し立てようとした。しかし、僕は用意していたセリフで部長の言葉を遮った。

「部長すみません。今日は僕の方からもご相談したいことがあって…」

思いもよらない言葉だったようで、部長は一度座り直し、ギュッと背筋を伸ばして前のめりになってきた。

「どうした。聞くよ」

いつもは早口の部長が、少し丁寧に返してくれた。いつもと空気が違うことを察してくれたようだ。

ついにこの日がきたのだ。意を決するために、少し間をとった。そして、僕は数年間溜め込んでいた言葉を遂に吐き出した。

「僕、辞めようと思ってるんです」

会議室に空調の音だけが響く。

「なるほどねぇ……」

静寂を打ち破ったのは、部長の呟くような言葉だった。部長はそのまま、背もたれに深くもたれかかった。

「半ばでの退職は心苦しいのですが、自分にはどうしてもやりたいことがありまして……」

僕が最後まで続けようとすると、今度は部長が大きな声で遮ってきた。

「えぇ!?会社を!?」

部長は思わず立ち上がっていた。「今のプロジェクトを外れたい」ではなく、「退職したい」と僕が言っていることに気づいたようだ。部長はゆっくりと座り直すと、椅子の背もたれに沈んでいった。そして、宙に向かってつぶやいた。

「そっちかい……」

今の会社に勤めながら暮らす生活に、退社を決意するほどの不満があった訳ではない。どちらかと言えば、僕を拾ってくれた会社には多大な迷惑をかけていたため、恩返しをしたいという気持ちすらあった。ただ、昼と夜がよく分からないような仕事漬けの生活を送っている中で、僕は気づいてしまったのだ。心のどこかで捨てきれなかった、小さな思いが残っていたことに。

「そんな未練、カッコ悪いぞ」

そう言い聞かせ、自分をなんとか抑えきた。けれど、時が経つにつれ、「小さな思い」は大きくなってく。やがて、「巨大な決意」へと成長した。社会と集団に埋もれようとする僕に、「巨大な決意」は怒号を飛ばすようになった。

「お前がやりたいことは、本当にこれなのか!?」

「やっぱりサッカーが好きなんだ!そうだろ!!」

「サッカーに関わる仕事がしたいんだろ!?違うか!?」

そう、僕が愛してやまないもの。

それがサッカーだった。

こんなことを言っているのに、はじめは、野球少年だった。小学校3年生の頃に、父の趣味に付き合い、野球をはじめた。近所の公園で、バットを繰り返し振っていた。

小学校5年生のクリスマスに、バットを握る僕を残して、父は他界してしまった。

悲しみと共に、野球の練習はやめてしまった。

ちょうどその頃、日本にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が誕生した。

テレビに映し出されたスタジアムでは、「チアフォン」というラッパのような楽器が鳴らされ、紙吹雪が舞っていた。人々がサッカーへ熱狂する姿は、これまで見たこともない光景だった。Jリーグブームに背中を押され、華やかな世界への憧れから、中学校ではサッカー部に入った。

これが、僕たちの出会いだった。

中学校の3年間、グランドを走り回り、アスファルトを駆け抜け、暗くなってもボールに喰らいついた。なのに、僕が卒業するまでチームは地域で最弱だった。

勉強が大嫌いだったので、受験対策をしなくても受かりそうな高校を受験し、合格した。

けれど、サッカー部が、偏差値の低い高校にありがちな「ヤンキーの溜まり場」だと聞いて、入部を諦めた。

サッカーのない学校には何も意味を見いだせなかった。入学3日目にして、学校へ通う生活に飽きた。

つまらない日々が続いたが、とあるサッカークラブの入団テストに誘われた。

中学時代の同級生が通う地域の強豪クラブが、メンバーを募集していたのだ。テストの結果、運良く滑り込むことができた。それからは、練習場がある河川敷に自転車で通うことが最大の楽しみになった。けれど、サッカーでワクワクする気持ちが膨れ上がる一方で、学校へ向かう気持ちが薄れていった。これが反比例という現象だ。

サッカーだけが楽しみという毎日が続いた。

それなのに、唯一の楽しみだったクラブでの練習に、だんだんとついていけなくなってしまった。全国優勝経験者が集う強豪チームには、僕のレベルは低すぎた。

サッカーが楽しくなくなった。全ての意欲が無くなってしまった。

出席日数不足のため、冬を待たずして僕の留年がほぼ確定した。

何とか事態を好転させようと、母親へ懇願した。

「サッカーの母国イギリスへ留学したいんです!!」

何かを変えたかった。サッカーの母国へ行けば、何かが変わる気がした。いつもは何でも「NO!」という母が、この時だけはすんなりと首を縦に振ってくれた。ただし、母は一つ条件を付けた。

「1年間で必ず帰って来ること!!」

僕はその条件を受け入れ、イギリス行きの飛行機に乗った。結果から言えば最高の一年になった。

ある日、地域住民が公園で行うサッカー大会に参加していたところ、老人に声をかけられた。その人は、セミプロクラブのオーナーだった。彼は僕にトライアウトを受けるよう勧めてくれた。

そこからは、まるで映画のようだった。サッカーでお金を稼げるようになったのだ。

豊富な運動量と献身性を評価され、試合にも出場することができた。ゴールまで決めた。僕は、小さな町でちょっとしたスターになった。今までの人生で一番輝いている時間だった。どんなことだって出来ると本気で思えるようになった。

サッカーを通じて、たくさんの人にも出会えた。英国の大人たちから「格好いい生き方」を教えてもらった。

夢のような1年は過ぎ去り、僕は日本の高校へ戻った。母との約束を守り、学校にもきちんと通った。留年者として1つ年下の同級生たちと過ごし、無事卒業した。

そして大学に進学し、サッカー部に入った。しかし、サッカーに対しての自信を失うことになってしまった。僕は、日本社会では「我」が出せない人間だったのだ。イギリスでの躍動が嘘のように、評価されない地味な選手になっていった。

チームメイトからの印象も薄く、せいぜい「頑張り屋さん」程度の評価だった。

それでも、捨てきれない思いがあった。

「いつかプロチームのトライアウトを受けたい」

しかし、卒業間際に交通事故に遭い、右足に重傷を負った。

「二度と歩けないかもしれない」

そう言われるほどの怪我だった。そのままサッカーを諦めることになった。

リハビリの甲斐もあって、全力とはいかないが、何とかプレーできるまで回復した。

サッカーは人との出会いを演出してくれる。週末のサッカーは、仕事の辛さを忘れさせてくれる。

僕にとってサッカーは、もはやただのスポーツではない。

サッカーは、僕が生きる意味そのものなのだ。

サッカーへの想い。うまく押さえ込んでいたはずなのに。

社会人として真っ当に生きようとしていた。会社員でいようとしてきた。

それなのに、消えることのない想いが、からだの奥底から響いてくる。

「もっとサッカーの近くで生きていきたい!」

その想いは、今の日常を否定し始めている。家庭を作り、親に孫の顔をみせるために貯蓄する。そのために、毎日職務をきっちりとこなす。「それが大人なんだ」とか、「それが普通の人生だ」とか、自分に言い聞かせてみても、もはや全く響かない。心に届かなくなってしまっている。

そして遂に、僕は会議室で、部長に向かってその声を吐き出した。溜めこんできた感情を、想いのままに語った。部長は、僕の話を「うんうん」とだけ言いながら聞いてくれた。

「わかった。とりあえずもう席に戻っていいよ」

促されるままに部屋を出ようとした。振り返ると、部長は立ち上がろうともしなかった。その後ろ姿からは、何の感情を推し量ることができなかった。幼少期に見た父の背中に似ている気がした。僕は、背中に向かって無言で一礼した。

そして、その日から1週間後、僕の退職は決まった。

翌年の2月28日が、最後の出勤日となった。

デスクに戻ったものの、仕事は手につかなかった。いつものように、会社に泊まりたくなかった僕は、そのまま荷物をまとめて早めに会社を出た。それなのにギリギリで飛び乗ったのは、最終電車だった。

つり革を掴む自分の手をじっと見つめる。いつもなら気になる車内の広告が目に入ってこない。会議室で積年の思いを吐き出した時、頭の中に一つの目標が具体化していた。

FIFA WORLD CUP 2014

翌年に控えたサッカーの祭典「ワールドカップ」。

開催場所は、サッカー王国ブラジル。

日本の真裏にある国である。

これだけサッカーを愛しているのに、僕はまだワールドカップをテレビでしか見たことがない。その大会が、憧れの地ブラジルで開催される。そう思うだけで、心が疼いた。

なんとしてでも憧れの王国にたどり着き、この目で生のワールドカップが見たい。サッカーに滾る人々の熱狂を、この肌で感じたい。

それだけだ。

ぼんやりと眺めていた手に、焦点が戻ってきた。僕は何かを確かめるように、吊り革を強く握り直した。そして、イヤフォンを耳に、音楽プレーヤーのスイッチを押した。ランダムに再生されるリストの中から、僕の心情を察したかのような音楽が流れてきた。

『サヨナラCOLOR』SUPER BUTTER DOG

しっとりと「別れ」を歌った曲だが、僕はいつも「はじまり」を感じる。

予期せぬ涙が、まぶたのすぐ近くまで押し寄せてきた。

東京、低い地下鉄の天井。少し滲んでいた。

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