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自信が、あるとかないとか。

自信。
それは欲求と深く結びついている。


自信は、自分が何かを成し遂げることができると
信じている状態とか、ただ自分を信じる事だと
思っていたけど、少し勘違いだった話。


その昔、
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
なんて、名前も知らない誰かの言葉を思い出した。
体育会系を匂わせるこの言葉が
一件関係のないような自信というワードと
点と点で繋がることになるなんて。


自信とは一見かけ離れたように思えても
根幹は精神や肉体にある。

人間の健康は、肉体だけじゃく
精神が健全な状態で初めて成り立つものだ。
病気だから精神が病む、というよりも
元を辿れば精神の健康が肉体に影響を及ぼす方が
大きい。

病は気から。にも通じる。

確かに自分の中での
心と身体のバランスがとれていれば
不要なことは考えなくなるから
エネルギーも消耗せず
やりたいことに取り組める。

自分の力で自分を幸せにできると信じているとき、
自分に満足している状態だと
条件や他人からの承認も必要なくなるので
それこそが人間にとって精神的に自由で健全な状態だと言える。

その、状態が自信がある状態だ。


じゃあ、それは理想論だとして。
今は健全だと感じていない場合。
自信がない場合は
どうしたらいいのか?
ダイエットしたり肉体改造したり?
無駄ではないけどそういう単純な話でもなく。
わたしの考えでは、努力や根性論とは少し違う。


ただ、体調を考えるために
食事や生活習慣に気を配ることは、精神を整えるきっかけにはなる。
自分のために、自分ですべきことをする。
それは、自分を大切にする行為。
料理や片付け、家事も仕事も
面倒だと思う、生活することの全てが
自分のため、と思えると
例え面倒なことも自然とできたりするのだ。

偉そうに言うわたしも
いつも、誰かや何かのせいにして生きてきた
依存的なわたしだったから、
自己価値の低さや、他人軸、このあたりはよく気づいている。
というか、嫌でも気づかされた。


本題に入ろう。
そもそも、自己肯定感や自信について気づくきっかけは、パートナーの裏切り。
元の旦那がわたしよりも10歳も年下のシングルマザーの女性と浮気していたことが発覚。
しかも、浮気じゃなく本気になったので離婚した。
のちに、彼はその女性と再婚したのだけど。

今、心から
別れて良かった。そう思っているし
後悔はない。


だけど
現実には自分がシングルマザーになって、
精神的にも肉体的にも余裕がない。
でも子供を養うためにお金を稼がなきゃならない。

そんな経験はもちろん、
したくてした訳じゃないけど
浮気をされたのは、あの頃の自分の中に自分を否定するような思考があったからだと今は思う。


当時、サレた側は、被害者だと思っていたから怒りに苦しみ、女としての自信も失い、
人間不信にもなった。体調も不安定なのに仕事をするしかない。
ほぼ、休みの日は鬱状態で何も手につかず。
子供に申し訳なかったし
人生どん底の経験(失敗も)から少しだけ
精神と肉体の繋がりをちゃんと理解したい、という
魂からの叫びが聞こえた。


今。自信があるかないか、と問われたら
あの時にはなかった健全な自信ならある。
と答える。

浮気はサレた側は悪くない、と大抵誰もが思っていると思う。わたしもそう思っていたけど
サレた方にも原因はあるんだと知った。
その後の人生の変化で。
(当時の自分はふざけんな!とかブチギレて聞きたくなかったはず)

結果、昔より今の自分の方がいいと思ってるし
負け惜しみとかじゃなく、気づけたことに心から感謝し、良かったとおもっている。


今、浮気をされたとか、裏切りを知って
苦しんでいる人やその周りの大切な人には知ってほしい。
自分にはなにもないように感じていたり
価値があるとは思えないとか
自分に満足していない状態は辛い。


辛いと何もやる気が起きない、
人にも優しくできない。
何もできない自分が余計に惨めに見えたり。

あの人は凄いなぁ
だけど、自分には何かある?とか。

無価値観すら感じているこのような時は必ず

▪️自分以外の何かをベースに見ている
▪️世の中の常識で見ている
▪️過去に経験したこと、特に小さなことはなかったこと、にしている
▪️理想が高い。自分に厳しい。または理想が叶わないと感じてる


これ、全部過去のわたし。
一時期的なものでも、誰にでもあると思うのだ。
SNS時代だもの、誰でもネットに繋がれるからこそうっかりこういった雰囲気に飲まれることはある。


だけど、その状態って
自分自身がちゃんと見えていないだけ。
やみくもに不安がらなくていいと知っていたら
安心するはず。
わたしはまず、不健全な時の自分に
安心すること、から始めた。

怯えてただ鳴く人間不信の子犬を扱うみたいに。

その1
安心させる



自分が見える状態、つまり自分自身のコンディションが整っていれば、自信なんてなくてもいいわけで。


瞑想は、わたしには思考を休めるためには
必要だった。

いつでも問題意識は分離から生まれる。
自分自身との分離。
誰かや何かではなく
なんというか、自分の中で自分と自分が仲違いしているのだ。

否定や不安からは、何も生まれない。


その2
肉体の仕組みを知る


自分自身といっても漠然としているので
あくまでわたしが定義している話にはなるけど
(事実はどうであれ、自分が納得できる考えなら
どんな考えでもよいという前提)
人は、肉体を持つと共に魂と精神と思考が
存在する。


こういう話をすると、スピっぽい、とか
そっち系の人、と思われるかもしれないが
スピリチュアルは特別じゃない、という話にも書いたけど、わたしは別にスピリチュアルの専門家ではないし、宗教も占いも興味がない。
ただ考えるようなきっかけがあり、精神世界を知ることになった。

こうした魂とか精神のことは
繋がりがある以上、生きる上では欠かせない
当たり前のものだとは考えている。

健全な精神とか健全な肉体は
魂と精神と肉体が、それぞれのバランスがとれていてトリニティ(三角形)を作る状態。


肉体と精神は繋がり、精神は思考を元に作られる。
思考は意識と繋がり、無意識とも関係するけど
無意識は結構根強くて、ひとつのテーマにできそうなくらい。だからまた改めて書こう。


魂は、オギャーと産声を上げ誕生する前からあちら(肉体を持たない)の世界に存在し、
死んだ後もずっと存在し続ける。
魂は、思考とは無縁の赤子のように純粋無垢な状態で人間の源の部分。
何も着ない(肉体を持たない)、裸ん坊の状態の魂は元々はひとつの存在。


魂には、ああしよう、こうしよう、といった意思はなく、良い悪いの判断もなく、時間軸も持たない。
だから、この世視点で役に立つか立たないかで判断したら全く役に立たない。

だけど、魂がなければわたしたち人間はそもそも存在すらできない。命の源だから。この世に生を受けた時点で魂を持たない人間は存在しない。


その3
エゴを理解する

魂が肉体を纏う、それと同時に所有するのが思考。
エゴ、とも言える。エゴって言うとなんだか自我のかたまり、みたいなマイナスのイメージを
持つかもしれない、だけど実際は、エゴは悪くも良くもない。

エゴがなければ個人のパーソナリティもない。
欲求がない、つまり生きる意欲もないということになる。

自分が誰でどんな性質を持つのかもわからない。
それらを知るには
素直な欲求に目を向ける必要がある。

抑圧してきたものの後ろに
大事な欲求がある。


思考、自我(エゴ)は生きるとセット。
だけど選択の自由があるものだ。
思考は、選べる。選ばない状態だとずっと無意識の状態だから、自分以外の何かに反応し続ける。
それって不自由だし、辛い。

だから、当たり前だけど
自分で選ぶことが自分の幸せに繋がる。

思考を選ぶ重要性は誰にも教えられてこなかったけど
人間の生き方、っていう辞書があったら
ぜひ、一番先に入れてもらいたい重要項目。


その4
感情のしくみを知る

よく、感情を重視されるけど、
感情はただの指標。
思考を元に感情が生まれている。

感情は、思考の結果であって
感情はわたしたちの気分の良し悪しを決めるもの。
だから、先取りして感じたい感情を選ぶことが
鍵になる。
つまり思考を意図してそっち(感じたい方向)に向ける。

思考は自らの命を生かすための機能だから
どんな選択をするか?は全て思考次第。

だからといって無闇に恐れることはない。
今も、自分はそもそもが良き流れにいること、が前提。

なかなかそう思えないけど
人生や流れを味方につけることができるのは、
努力ではない。


肉体、魂、精神が一体となり
分離していない状態だと安心するから
環境、人、条件に関わらず
無条件にただ幸せだと感じる。


人間は、自分自身の頭(思考)と心(感じること)が
分離していると無価値感を感じる。


不幸に慣れすぎてしまったら気づけない。
幸せが当たり前で
価値を感じていることも当たり前で
豊かで幸せで心が充足感で満たされている状態が
普通だったら?


自信なんて探そうとしないだろう。


自信が欲しい理由は
ただ不足感を感じたくないから。
自分が生きる目的を知り、人生に満足したいから。

それは今すぐにできる。


なかなか今が幸せだなんて思えないなら
そんな自分も否定しないことから始めればいい。
そもそもが、比較自体は悪いことじゃないし
「違う」だけのことだから、
違いを認識するだけで終わりでいい。
だけど、その後に無価値観を感じたりするのは、
根底には、自分自身に対する分離がある。


じゃぁ、分離をなくすにはどうすればいい?

その5
兎にも角にも自分に優しくする。

厳しい言葉がけをしたり、居心地の悪い環境にいさせたり、小さな気持ちを汲み取らないで無視したり
してないだろうか。

良い自分、好きな自分だけを良しとしてたり
醜さやブラックな部分、
汚さ、弱さ、受け入れ難い自分を否定していない?

受け入れ難い自分を否定するのって、
話を聞いて欲しくて何度も話しかけてるのに無視される子供と一緒なのだ。
同じように自分に対して無視ばかりしてたら
自分はそりゃ拗ねるよね、、、
なにも求めなくなる。

だから、
嫌なことも、汚い事や許せない気持ちも
まずは、自分で認識することから始めてみるといい。

ノートに書いて、破らずにそのままに。
要は、なくすんじゃなく、どんな在る
(嫌なことも)も共存していていいのだと
自分に伝えることに意味がある。
サレ妻、なんて流行ったけど
現実はドラマとは違って更に辛い。
ハッピーエンドの展開は自分次第。
感情は、ただの指標だけど、嫌なことを否定するからどんどんと問題が深くなる。


嫌な感情や感覚を認めるのは怖いかもしれないけどそうすると
逆説的に、嫌なことは少しずつなくなる。
実際にはなくなる、というのは間違いで
存在はしていても気にならなくなる、とか
重要視しなくなる、が正しい。


浮気されたことがある、って方は
ぜひ試してみてほしい。
そう思ううちに、
どんな自分でも受け入れてあげていることに
気づきます。
自信は自分の優先順位を間違えないことから
紐づいていく。

そして、ある時自信なんか、あってもなくても
今、ここで自分が息をしている。
ただそれだけで幸せだったんだと気づく時が
必ずきます。


自信は、健全な肉体と精神の状態なら
誰にでもすでに元々在るものだから
後からつけるものでも探すものでもないのだから。


辛かったら辛い、って誰かに言うより
自分に言ってみるといい。
聞いてくれるので。

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