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【コーチング徒然16】「あの時のせいで私は・・・」と思った時、いつまでも犠牲者ぶっていた自分に衝撃を受けた(実録エピソード)

こんにちは、パーソナルコーチ&大学特任准教授のまゆなです。コーチを職業にしながらも、クライアントとして受けることも大切にしています。今回は、衝撃を受けた私のクライアント体験エピソードを書きたいと思います。*コーチングはコーチという人と1対1で特殊な対話を通じて、その人の思い込みに気づき、意識や行動が変わることを意図的に起こしていくことがあります。コーチングって何がいいの?受けるとどうなるの?という方にぜひ読んでいただきたいです。

コーチングで話した「私は傷ついて自信がない。」

私が選んだテーマは「過去に傷ついた出来事について話したい。話すことで傷を癒して、行動の制限になっている足かせを取りたい。」でした。このテーマは過去に5回ほど取り上げたことがある、なかなか根深い内容でもありました。具体的な事象は相手を尊重して書かないのですが、おおよその内容はこんな感じです。
あの時、あの人に、あんな風に言われてとても悲しかった。その出来事から自分が今まで何の気なしにできていたことに、すっかり自信がなくなってしまった。この状態を何とかしたい。
という内容です。おそらく親子関係、友人関係、会社の人間関係などありとあらゆるところで、どんな人にも似たような経験は存在していると思います。

その出来事は相手が100%悪いということはなく、私自身、改善点もあったし、別の方法をとれたのではないか、ということは過去のコーチングで振り返ってきてはいました。悲しい気持ちに浸りきったことも、その自分を癒そうとしたこともありました。ただ、どれだけ論理的に事象を整理してみても、どれだけ痛みにどっぷりつかってみても、心にはまだトゲが刺さっているような鈍い痛みを感じていました。もう同じような痛みを感じたくないからと、以前のように行動を制限していました。自分で自分を守らないとね。私は傷ついているんだから。今は癒しの時間が必要なんだ。じゃないと次に進めないぞ。そう思っていました。しかし、それは私にとっては大きな間違いでした。

傷から守っているのではなくて、傷つくことを選んでいた。

過去に何度も話してきたテーマなのに、なぜ今だに傷ついているんだろう。おかしいなぁ。そろそろ抜け出してもいいはずなのに。それほど傷が深かったんだろうか?そんな風に思っていました。でも今回、ふと「あの時私は傷ついた・・・」と口に出した時、ごくごく小さな違和感を感じました。なんだか、傷ついたことを得意げに話しているような自分がいました。まるで「私は可哀そうな人なの」とでも言いたいような感じがしたんです。そしてもう少し話を進めるうち、その違和感の正体に気づきました。

あぁ、私は、自分が傷ついたことをずっとずっとあの人のせいにしてるんだ。傷を傷のまま残しておいて、何かあったときに「傷けられて可哀そうな自分」って思う方が、それ以上考えなくて済むから楽だもんな。でも、もう目の前に「あの人」も「あの状況」もないのに。
例えるなら、「ほらみて!私傷ついてるの!だからできないの!」と言い訳しているだけの人だ。
傷口に手当てをせず、放置していたのは、私だ。
新たな傷から守っているふりをして、自分を見ていなかったのは、私だ。
誰かのせいにして、行動が出来ない言い訳をしていたのは、私だ。

「で、私はどうしたいの?」

当時、傷ついたことは確か。けれど、やらなければならなかったのは「人のせいにし続けること」ではありませんでした。人のせいにしても過去の出来事は変えられない。だから、傷ついた事実を否定せず、自分で軟膏を塗ったり、傷を経験にして次につなげることが必要だったんです。言葉にすると当たり前に感じるかもしれないですが、「私って、傷ついたことを棚に上げて、できないのを人のせいにしてるじゃん!ダサっ!」って自分で気づくまでは、全然納得がいかないんですね。それが気づいてしまったら、気持ち悪くて仕方ない。ここではじめて「で、私はどうしたいの?」という問いにパワフルさが戻ってきたのを感じました。
「私は、制限なく楽しく活動がしたい。というか、することに決めた。」という答えが自然と出てきました。
私の中から傷ついた自慢をする自分が消え、気持ちのスイッチが「パチン」と音を立てて切り替わったのを感じました。



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