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【#0】自己肯定感ゼロのアラサー無職が、心に従って生きたら人生のミラクルを連発しだした話

 はじめまして。私は眞柄真有奈(まがらまゆな)と言います。私は今36歳です。このnoteは人生どん底で、生きる希望すら全くなかった28歳・自己肯定感ゼロだった私が、自分の心に従ったらひっくり返るくらい人生が変わった実体験を書いていきます。無職の無気力人間になったあと、瓶の底に残ったジャムくらいのわずかな気力で自分の人生を見直すことにしたら、信じられないミラクルとかシンクロがたくさん起きました。
 どうやってそのミラクルやシンクロを起こしていったのか、この先に続く未来の私にとって大切な人生訓になると思うので、忘れないうちに振り返っておきたくて書くことにします。


「人間として欠陥品」と言われ、新卒以下の給与になった会社員時代

 大学を卒業し、北海道から東京に上京したピッカピカの21歳。これが噂の大都会トーキョーか!と、新宿の電車ホームの多さに目を回しつつも、新しくはじまる社会人生活に期待していました。わたしは東京に土地勘もなければ、知り合いも片手で足りるほど。内定者との交流も北海道にいたせいでゼロ。なんなら貯金もゼロ(はっずかしー!)。社会人としてのスタートは「孤独と節約」の日々でした。仕事以外やることがなく、土日も東高円寺の家賃6万5千円の木造アパートにこもって、営業ロープレや資料作りをしていました。(地方出身のため、都会に女性がセキュリティゼロの木造アパートに住むと危険だということも知らなかった)。そして努力のかいあってそれなりの営業成績を残すことができました。25歳夏、完全に「自分って結構仕事できるじゃん」と調子に乗り、営業以外の仕事もしてみたい!と知り合いつてに転職し、未経験から人事の仕事にチャレンジをしました。すると、4年間の努力と自己肯定感が木っ端みじんになるできごとが待っていたのです。

調子に乗っていたので、顔がギラギラしすぎていてこわい。



 職種未経験からの入社だったので、はじめは仕事に慣れるため派遣社員と同じ業務からのスタート。そこそこ規模の大きい会社の採用をしていたため、毎日CCで入ってくる何百通ものメールをさばき、面接の調整をし、説明会の準備をして、方々連絡を取るなど・・・。営業の時と違い、決められたことを素早く正確に淡々とこなす・・のがとても苦手なため、思うように仕事ができませんでした。ついには「あなたは人間として欠陥品」と面と向かって言われ、さらに人事評価では「新卒以下の給与へと減給」されてしまいました。すっごくショックでした。

 努力すれば成果につながっていた営業の時と違い、努力してもダメ。努力する方向を変えようにも目の前に山積している仕事に追われてダメ。完全に八方ふさがり。前職でつくってきたと思った自信はすっかりなくなり、「仕事ができない人」というレッテルをはられたり、怒鳴られるのが怖くていつもビクビク。(一部ではすさまじい怒号が飛び交う社風だったのですが、そういうものだと思っていた)それを隠すために表情はいつも口元だけ笑顔にしていて、でも目はつりあがっていました。当時は新婚だったのに、正直全く新婚として何か楽しい生活をしたという記憶はほぼなし。その後も会社でいろいろあり、履歴書に残るからせめて1年だけはがんばろうときめ、1年ちょうどで退職することにしました。
 

新婚だったのに顔が笑ってないですね・・・。

「NOが言えない」が失敗の引き金に。

 次に転職した会社は、とてもすてきな会社でした。1社目での教訓を生かし、前回よりも慎重に転職活動を進めることに。転職前に会社のイベントに参加させてもらい、社員の方とコミュニケーションを取ることにしたんです。イベントに行く前、HPや口コミを調べ、大切にしている価値観を読みとったとき、自分の心が少しだけ「この会社、なんかいいな」と反応しました。

少し・・・といったのは、当時自分の選択にすっかり自信を失っていて、日々心を無にして、できるだけ傷つかない、何も感じない、とにかく注意されないように仕事をしていたので、感じることに鈍くなっていたから。イベントに行った時、様々な社員の方とコミュニケーションをとれる環境で「あ、とっても解放感がある。」と直感的に感じました。それまで入社前の社員面談と言えばとても戦略的で、採用したい人のメンターになりそうなエリート社員をアサインすることが多かったので、「この会社はどの人に会ってもいいって思っているんだ。それはすごいな~。」と感じたのを覚えています。もうここしかない!と藁をもすがる思いで入社してみると、はじめに感じた通り、とてもすてきな会社でした。

私は、初めての転職でたった1年しか在籍できなった恥ずかしさから、この会社では腰を据えて頑張ろう。そして1~2年頑張ったら、子どもも欲しいし、今度こそ失敗しないようにしないと!と将来のライフイベントも見据えて仕事に取り組みました。

 はじめは順調なすべりだしでした。前職でやってきた基礎的なことは、期間は短かったけれど、量が膨大だったので手早くできるようになっていました。ボリュームが減ったぶん丁寧に仕事をする余裕も生まれ、小さな成果を出すこともできました。会社の雰囲気も自分に合っていると感じ、働く楽しさにウキウキしていました。ただ、すぐには自分の自信を取り戻すことはできず、「また失敗したらひどいことを言われるのでは。」「何とかして価値を発揮しないと私の居場所がなくなってしまう。」「20代で転職を3回もしたら、ジョブホッパーと思われて転職しにくくなるし、子供も産むタイミングがどんどん遅れてしまう!どうしよう!!!」そんな不安を常に抱えていました。


 私のいた人事は正社員以外にも常に業務委託や派遣のワーキングマザーの方と一緒に働いていました。皆さんとても優しく優秀でした。それまでの会社では、どちらかというと平均年齢も若く夜中まで働く系だったのでお子さんがいる方と一緒に働いた経験はほとんどなし。それが彼女たちのおかげで「お母さんになっても仕事ってできるんだ!」とうれしくなったものです。と同時に「こんなに仕事ができるのに、世の中はどうしてお母さんに風当たりが厳しいんだろう?」と、素直に疑問に思いました。今となっては当たり前だけど、当時としてはめずらしい完全在宅のリモートの方もいたりして、常にチャットでやり取りをしていました。その方はとても仕事ができる方で、どんなタイミングでもレスが返ってくるので、一体どんな生活スタイルなんだろう・・・超人なのか?(でもそんな風に働けてうらやましいなぁ)と感じていました。


海外で採用イベントに出たとき。とても楽しかったです。


 仕事に慣れたころ、同じチームの方が退職。私はそれまでの採用の仕事に加え、労務管理の仕事もすることになりました。会社はスピード感があり少数精鋭だったので、決められた領域の仕事だけというよりは、落ちているボールを拾える人が拾ってどんどん投げ返していくようなスタイル。アイデアがあれば「やってみて!」と言われ、やらせてもらえるチャレンジングな環境でした。新しい領域の仕事を任せてもらえるのはとても嬉しいし、期待に応えたい!という気持ちが先行し、わたしは知らぬ間に前回と同じ失敗をしてしまうのでした。


 それは「NOが言えない」ということ。前職のこともあって、なんとしてでも成果を出し認められないと・・と不安と焦りから仕事をしていたので、「もしもここでこの仕事を断ってしまったら、またダメ人間という評価をされてしまうのではないか。期待に沿えない人だと見放されてしまうのではないか。」そんな風に思っていました。
 今思えば1人の退職分の仕事、しかも全く自分がやったことがない領域を完璧にカバーするのではれば、それまでの仕事量を調整したほうがよかったはず。でも自分が成果を出しやすく、価値を感じてもらえる仕事を手放すのは、居場所がなくなってしまいそうで怖くてできませんでした。かといって期待された仕事を断ってしまってはかえって評価が悪くなっちゃうかも。仕事を回してもらえなくなって新しいチャレンジが遠のくんじゃないか…の堂々巡りでした。当時の自分の中には「受ける」以外の選択肢はありませんでした。正直、会社のためと言いつつも、何とかして自分の居場所を確保したい。そんな気持ちで揺れていました。
 

 そう時間がたたないうちに、自分の首が回らなくなり始めました。電車の中でもスマホで仕事をし、家に帰ってからもパソコンを開く日々。土日も月曜からの仕事のことで頭がいっぱいになり、睡眠がうまく取れなくなりました。家に帰ると「疲れた」という言葉だけを吐いてベッドに倒れこむ。部屋はぐちゃぐちゃ、せっかく3つ口あるコンロもたまにしか料理されないので、いつもさみしそう。洗濯物をたたんでクローゼットに入れる余裕もなく、干したものをそのまま着る生活。夫は心配そうにしていたと思うけれど、私はほとんどその顔を見ていなかったと思います。ある日、下腹部がとても痛くて病院に行ったところ、ストレスで卵巣が腫れていました。同時にドライマウスで口の中も虫歯だらけになっていました。病院の待合室は静かであたたかくて、仕事をするにはいい環境だな。なんてぼんやりと思っていました。

 
 「私のような人間は、価値なんて何もありません!」当時の部門の役員との面談で大泣きしながらそう言っていました。もうほとんど、正確に仕事をするのが困難な精神状態になりかけていました。そして私を支えていた仕事へのプライドたちは、音を立てて崩れ、心の中では完全に白旗をあげた。入社して1年過ぎた夏のことだった。


気持ちはやさぐれを通り越してゴミのようになっていました。(アートイベントで撮った写真です)

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