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【265/1096】浴びてない言葉はつかえない

265日目。救急車の音が聞こえると、「熱中症かなあ」と子が心配している。この暑さの中、なんの症状もないのにマスクをしているのはなんなのか?と疑問に思う。


人は、浴びている言葉でできていると思う。
読んだ言葉よりも、映像などを通して聞いた言葉よりも、直接、耳に入って対面で浴びてきた言葉だ。

自分の幼少期に愛着に問題があって、そのあとケアされずにいた場合、おとなになってほとんど拗らせている。
そういうとき、自分で自分に掛ける言葉がとても大事になってくる。
自分の中で、内部分裂みたいな感じになっているところがあり、そこを統合させていくことが成熟に欠かせない。
その内部分裂しているパーツたち(たいていは子ども)に、大人になった自分がどんな声をかけてあげるか?は、子育てで大事なこととほぼ同義である。

このとき、本心から本気で、大人になった自分が、パーツたちに愛着を育てるように声掛けできるか?というと、自分自身が浴びて来ていない言葉はかけられないのである。
これはもう本当に真実、誰も出来ない。出来ている人を見たことがない。
本当に残念だが、人間はしてもらってないことはできないのだ。

でも、もちろん、時を戻して、赤ちゃんからやり直すことはできない。
誰もしてくれなかったからと言って、そのまま拗ねているなら、いつまでたっても子どものまま成熟できない。
誰もしてくれなかった過去は置いといて、今の自分で自分に愛着が育つ声掛けができるように練習、訓練するのである。
これが、もっとも重要だ

自分のニーズのエネルギーが通ってない言葉をいくらかけても、言葉が落ちるはずがない。
入っていかない。

そして、逆に不安や恐怖をあおることを言ったり、できなかったらどうするの?と責めたり、切り離すようなことを言ったりしてしまう。
これでは愛着は育たないのである。

最初は、だいたいまったくできない。
言葉も思いつかないし。
共感するところから始める。
今、この子になんて言葉をかけると、この子と信頼関係が結べるだろうか?
まずは、セリフのように言うだけでもいいのだ。
数をやっているうちに、自分の想いが通る言葉が見つかる。
むしろ見つかるまでやるしかない。

私は子どもを産んで、さらに自分が育てられたようには育てたくなかったので、声掛けや言葉にはかなり気をつけてきた。いろいろ講座にも行ったし、本も読んだし。
その甲斐あってか、今のところ、子どもたちとの信頼関係は築けている。
もちろん、不適切な言葉がけをしてしまったこともあるが(そしてそういう言葉は子どもがすごく後々まで覚えているということも実感している)そのことを謝って、次はもうしないをしている。

それと同じことを、自分の中のパーツたちにもしてあげる。
しかし、自分の中の子たちには、だいぶ冷たくなる自分もいる。すごい苦労して、大変な想いを背負ってくれたのに、ひどい・・・と思うけど、ついつい、自分が浴びてきた言葉を浴びせてしまうのだ。
自分が産んだ子には絶対に言わない言葉も、するっと出てしまったりする。
そこで、セラピストの先生に止められて、「もう少し、違う言い方をするとしたら?」ときかれて、ハッとする。
定期的にセラピーを受けるとこういう気づきがある。

突然だけど、私の大好きなアーティストに宇多田ヒカルがいる。
VOGUEの宇多田ヒカルのインタビューをぜひ読んでもらいたい。

そのインタビューに、

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode?fbclid=IwAR0SkYuwJRMsdnfLq6dflMBlXdDvbEMwSeg2k23MzLvg5B0KRd7Ueo6Wis8


『BADモード』を作っている時期にもそれを考えていて、「そうか、私は対象に愛されている感覚を与えたいんだ」って気づいたんです。私が子どもに「愛されている」と感じてほしいからしていることを、自分にもしてあげればいいって気づいて。愛する相手にこうなってほしいという気持ちを、自分に適用すればいいという大きな気づきがありました。

とあって、まさにこれ!と思った。
「自分にも適用する」ことが本当に大事で、自分に適用しないでいると、成熟もしないし、すり減っていく。

9年近くやっている精神分析の影響もありますね。もともと自分を分析して、そのときの自分に必要だった自分の真実みたいなものが歌詞になることが多かったのが、精神分析を長くやることによって、セルフセラピーの意味合いが顕著に出てくるようになったんだと思います。

にやっぱりなーと頷く。
セラピーを長く受けててすごくよいことは、セルフセラピーが進むってことだ。
セラピーとセラピーの間に、ものすごく進捗がある。
定期的に受けていないと気づかないけれど、定期的に受けているからこそ気づけることがあると思う。
自分がやっているセラピーもそういうものだ。

子ども時代が一番強烈だったんだろうなと思います。寂しさや辛さ、耐えられない気持ちや悲しみ、そういうものが濃くダイレクトにありましたね。そこから自分を守るために、環境に応じて成長しちゃうじゃないですか。適合するというか。そうやって身につけた行動パターンや思考パターンに、もう大丈夫だよ、もういらないんだよ、そのときは必要だったけれど、今はそれが人との関係を築いたり、自分が自分との良好な関係を保ったりするのに邪魔してるよね、っていうのを学んできた人生というか。特に精神分析を始めてからの9年で。今でも時々そういう気持ちを強烈に感じると、こんなに根底にあるんだとショックを受けたり、誰とこれを共有したらいいんだろうとか、共有できる人がいるのだろうかと思うときもあるけれど、それこそ自分に言い聞かせてきたことでもあるんだと思います。そうやって景色が豊かになっていく、自分が豊かになっていくと。

私が定期的にずっとセラピーを受け続けているのもこれ。
自分で自分に言い聞かせてきたことと、自分が豊かになっていくこと。

何かを知ることって、知れば知るほど、自分がいかに知らないかを知ることですよね。ただ、自分への信頼みたいなものがだんだん養われていっている気がします。それが世界の信頼とか、他者への信頼に繋がっていくのを感じています。

インタビューのラストに書いてあるのが、本当にそうだなと思う。
自分への信頼を養うと、他者や世界への信頼につながっていく。

親や周りにいる人が子どもにしてあげられる一番大事なことって、ある程度の大人になるまでは根拠がなくていいから、安心感とか自己肯定感を持たせることだと思うんです。自己肯定感は、なんでも「いいよいいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが何かの理由で悲しいと思っていたら、大人からしたらたいした理由じゃなくても、「悲しいよね」ってその都度認めてあげること。そういうところから自己肯定感って芽生えてくると思うんですね。自分がこの気持ちであることはオッケーなんだって。その感情を他の人に認めてほしいとき、誰もいなかったりすると、そう感じている自分がおかしいんだ、悲しいって思っている私がいけないんだ、私が感じなければいいんだっていうほうにいっちゃうと思うんですよ。私はそこを通ってきているし、最近の10年は、自分の中でやっちゃってた感情の新体操みたいなのをしないでもいいんだ、悲しい気持ちも弱さも隠さなくていいんだ、と思うようになりました。

どんな感情も否定しない。自分で自分にストップかけない。
それを、大事な人にも、自分にもやり続けることだ。
そうすると、過去に浴びていた言葉ではなく、自分が自分に浴びせている言葉から、自分が育っていくのだ。

では、またね。


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