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スイーツは別腹

今日は友人たちとのランチ会で、たのしくて、たくさんおしゃべりしながら、お腹いっぱいに食べて、もうはち切れる!これ以上は入らない、と思うほど食べた。それなのに、デザートのスイーツが来たら、もう一口はいけると思って、結局、アイスとブラウニーを食べてしまった。
スイーツは別腹である。
もう十分だとわかっていて、お腹も満たされているのに、甘いものは口に入れてしまえる。これが肉ならばもう入らない、という状態でも、アイスやケーキは口に入る。そういう甘い誘惑なのである。そして、周りの友人が食べていると、やっぱりわたしも食べる!となりやすい典型。食べ過ぎちゃった、と思うことになりやすい。目が欲しがる、というけれど、スイーツは見た目も華やかで、なんとなく可愛らしく、彩がきれいなことが多いので、目で見て楽しんで、口に運んでしまうということもある。
甘いものは癖になるというけれど、ほんと、甘いものを断つのはなかなかできない。

でも身体が重くなると、いろいろ感覚が鈍るなと思う。少し、軽いくらいがちょうどいいのだが、スイーツを食べていると、ついつい食べすぎるということが起きて、ついて欲しくないところに肉がつく。自分のちょうどいい感じから離れていくなーと思った。

呼吸・整体という呼吸で自分の自然な、正直な在り方の修練をしているのだが、自然な在り方を探求していると、お腹が空いていないのに、ご飯を食べるというのは、身体の自然の摂理からは離れているということに気づく。
お腹が空いていないのに、時間だからとごはんを食べていると、その時間になるとお腹が空いてくるとか、その時間にごはんを食べないと落ち着かないとか、お腹が空いたらどうしようとか、いろいろ頭の中で考え出して、結局、時間で食べる、ということを繰り返してしまうのだ。これは、自分で実験してみたら、そうだった。ほんとうにお腹が空くまで、具体的には胃がぐうと鳴って、空腹を告げてからごはんを食べる、ということをすると、一日3食、同じ時間に食べるということはない。日によって、空腹になるタイミングはけっこう違うし、その日の行動によっても変わる。それとか、ちょうど空腹になったときに、移動中だったりしたらごはんを食べられないとか不便なときもある。そういう時は、まだ完全に空腹ではないうちに少し食べる、みたいなことをやったりした。
でも、そのあとに、1日3食、だいたい同じ時間にきちんと食べる、ということをやってみると、その時間に合わせてお腹が空いてくるような気がするし、ぐうと空腹をつげるほど、お腹が空いてなくても普通に食べることができる。(今までの人生でほとんどそうだったし、まあできますよね・・・)
誰かと一緒に食事をするということを楽しむためのごはんもあるから、空腹じゃなきゃ食べちゃいけないとかではない。
でもあまりにも、自然の流れを無視して、時間通りに食べるとかやっていると、感覚がどこか麻痺するというか、鈍くなるような気がした。

自分の身体に最適なことは身体が知っている。空腹でお腹がぐうとなる、というのを、頭で「さあお腹、ぐうとなれ!」と命令してもできない。
だから、身体の声を聞いて、それに合わせて食事していくというのは案外大事なことかもしれないと思う。
甘いものは、その身体の声をちょっと麻痺させるというか、聴こえなくさせる気がする。心に何か痛みがある人に、甘いものがやめられないという人はけっこう多い。甘いものを食べるとちょっとホッとする。そのちょっとホッとするを求めて、どんどん鈍らせるというような。そんな感じだったかもしれない。
何しろ、別腹でどんどん入るし。その上、スイーツだけだったら、食べ過ぎるを感じるまでにハイカロリーになりすぎる=身体がどんどん重くなる=なんかの感覚の鈍さがます、という循環が起きていたなー。わたしに。
10代の終わりから20代の初めは、ものすごく太っていたのだが(子どもを妊娠したときより、体重が重かった)、そういうことがあったかもしれない。身体の声なんてまったく聴こうともしてなかった。甘いものを食べてごまかしていたし、そんな自分を嫌悪していた。太って醜いわたしは愛されなくて当然、というように。おお、そうか。愛されない、を証明するためにそのような行動を取っていたのかもしれない。

さて、今日は食べ過ぎた。
明日はお腹が空いてから、食べることにしよう。



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