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【541/1096】自分でやってるから、自分でやめる

今日は、呼吸DOJOで自分の力み具合を舌でチェックする。

舌はひとつの指針なのだが、わかりやすい。
わかりやすいだけに、今まで隠れていたものも露になる。

わからないように(無意識であったりするが)「こそこそ隠れてやってた」ことが、白日の下にさらされたとき、どうするか?

私の悪いパターンは、被害者ポジションを取るである。
「これは私のせいではない」原因探しをしたくなる。
「どうしてこうなっちゃうんだろう?」とか言う。
(←自分でやってるんだって。)
なんらか、環境的に、身体的に、どうにもできないことがあり、そのようになってしまうのだから仕方がないのだ、と思いたいわけ。
つまりは、正当化したい。
自分は悪くなくて、〇〇のせいだ。
○○だから、こうなってもしかたがないのだ。

あー、我ながら残念すぎる。。。恥ずい。。が、恥はさらしてしまうしかない。

これをやると、一回逃げを打てる。
そのまま向き合わなくて済む。
自分でやらなくてすむ。

舌の位置が変わったからと言って、誰に迷惑をかけているわけではない。
けれども、これを自分の身体でやっているということは、あらゆることでやっているのである。
しかも、無意識に。
自分にやっていることは、120%他人にもやっている。

次のパターンとして、
「これをやめたいと思っているのにー!」と嘆く。
がある。
嘆いても、変わらんのに。
なんだかこの残念な自分を嘆きたい。
というか、これ、愚痴では?みたいな。。恥(2)

「自分でやっている」のであるから、「自分でやめる」だけで、回り道はいらない。
回り道はいらない。
回り道はいらない。
(大事なので3回)

身体が力むと息があがるが、息があがるというのは、ゼーハーいうということではなくて、ものすごく繊細なのである。

「やろう」と思って、動き出す前に力んでいる。

動く前に、頭で想像して動くと、身体を追い越してしまって力む。

ものすごく微細にほんのちょっと。
でも、そこが入ったら、もうずっとその微細な力みは入りっぱなしになる。

ずーっと針でつつき続けていたら、すごい傷になるとマイクロアグレッションの例で言われてそのとおり!!と膝を打ったのであるが、自分の身体にそれをやり続けている。
自分にやってる人は、それが当たり前になってしまうから、他人にやっても無頓着になるかもしれない。

「身体が言うことをきかない」と言うが、身体の言うこと聞いたことある?と。
身体の言うことは聞いたことなく、一方的にいつも言うこと聞いてもらいたい、聞いてもらって当然、聞かないと苛立って痛めるとか、どんなパワハラか!
やっちゃうから気をつける、というレベルではなくて、それをするのをやめるのである。

という練習をひたすら。
このパソコン打っているときも、キーボードに指置いたら、力みそうになるので、これを力まずにいかに息をあげないか?を探しつつ打っている。

そうすると、今まで力んでごまかしていたところがごまかせなくなって、おおお?!ど、ど、どうしよう?みたいになるけど、そこは身体に教えてもらいながら、身体と対話してみつけるところ。
この見つけるときに、ものすごい大雑把感を発揮するパターンもあるので、ここは繊細な身体にあわせて、繊細に対話する。

全方位に扱い方を変える必要がありありとわかって、かなりやりがいあるけど、自分の人生を自分でハンドル持つならここは、ぜったい通る道。
逃げるな、危険!(自戒)

では、またね。

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